古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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2007「しゅくがわら」音楽レクリエーション①(1月14日)(その2)

3階に上がって演奏の準備をしていると、いつも一緒に唄ってくれるM子さんから「今日は家の者が来てるので参加できないの、ごめんなさい。」と言って、小さな封筒を渡されました。hassy「これ何ですか?」、M子さん「実は今まで書きとめていた雑文を冊子にまとめたんです。よろしかったら、読んで下さい。」封筒の中には私への手紙と印刷物が入っていました。その場では時間がなかったので、帰りの電車の中で封筒から出して読ませていただきました。


ご自分を別名で登場させ、脳梗塞で倒れてからリハビリ時の苦労話など「しゅくがわら」に来る前のことから、現在のホームでの日常生活のことなどをいくつかのテーマに分け、A5版で本文46ページという立派な冊子です。表紙のタイトルは「花筏」。1枚めくると、≪特別養護老人ホーム 多摩の里 雑記帳≫の文字が、M子さんの「花筏 流るる里の マイホーム」の俳句をサブタイトルとして載っています。本文中では「しゅくがわら」を「多摩の里」、自分を「奈津」の名前で登場させています。翌日仕事に向かう電車の中で改めて読み直しましたが、この1月で88歳になったお年寄りによくここまで書こうとする気力が湧くものだと思わず感動、電車の中で涙が出そうになりました。


冊子の最後の部分をそのままご紹介します。


「『石の上にも三年』と言い伝えがあるが、奈津は四年余りの年月を使って、やっと、この多摩の里に根を張ったようである。やがて春がきて、二ケ領用水の辺りの桜が咲き、その花びらが水面に散り思い思いの形を作り花筏となってゆったりと流れて行く時…その一つの花筏によりそいゆらりゆらりと「ハイ!終着駅ご到着」となりたいものだ。これからは少しトーンを上げてねぇ!と結んだ。其所には何時になくゆったりとおだやかな奈津の顔があった。」


冊子の中に挟まれていた本人の挨拶文の中からも、その一部をご紹介します。
「・・・ピチピチギャルの女性ワーカーと数少ないこれ又、イケメンの青年ワーカーに終日介護を受けて、平和に静かに日を送っております。右半身不自由になりましたが、なるべく残った力を利用する様に心掛けて居ります。この雑文も、ふるえる手で書きました。見にくい原稿を整理して、パソコンに打ち込んでくれた元プログラマーの男性ワーカー。印刷、丁合、製本と協力して、この「花筏」を作製してくれたのは、甥のS一家の私に対しての愛の手から生まれたものでございます。・・・」


私がいただいた手紙の中で、「この様な施設にてナマの音に接することは全くないものと思っておりました。私は絵は見るもの、歌は聴くものと思いつづけ、人様の前で歌うのは皆無でした。貴方様の御到着をОさんに感じとられない様にひそかにソワソワとお待ちするように変わりました。それは貴方様とは長いおつき合いでもなく、たまさかの出会いでした。何故か温かいお心情とシンからのやさしい御人格が私をたとえ声にならずとも、とにかく参加、口をひらかせて頂いたものと思います。・・・」という、ありがたいお言葉をもらいました。


M子さんのように、いつまでも、広く温かい大きな心を持って生きて行きたいものですネ。若いもんは、まだまだ頑張らなくっちゃイカンぞ!



投稿者 tuesday : 2007年01月21日


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