Hassyがブログに「Hassyとギターとの出会い」を書いていたので、僕も自分とリコーダーとの出会いを書いてみようかと思います。
僕の世代のほとんどの人がそうなのだと思いますが、僕のリコーダーとのはじめての出会いは小学校のときでした。当時誰でもスペリオパイプと呼ばれていたソプラノリコーダーを、音楽の授業の一環として持たされていましたよね。そのリコーダーについては苦い思い出があります。当時僕は音楽はからきしダメで、音符は読めず、リズムは分からず、ましてや調については何のことだか想像さえ付かない状態でした。そんな折に、運動会での鼓笛隊のリコーダー担当に指名されました。これはクラスの中で何人かが強制的に指名されるもので、決して音楽の素養があると先生が認めたからではありません。選ばれてそれなりに家でリコーダーをいじったりはしていましたが、もとよりできるわけもなく、半泣き状態で音楽の先生に辞退を申し出て許されました。
そんな自分が中学に入ると、友人の誘いでブラスバンドに入り、リコーダーよりはるかに複雑なクラリネットをやるようになるのですから、人生とは分からないものです。この頃から大学を卒業するまで、リコーダーとは疎遠になり、クラリネットばかり吹くことになります。
大学を卒業して数年は有志のオーケストラでクラリネットを吹いていたのですが、だんだん足が遠のくようになり、家で吹くにしても、音が大きいクラリネットではそうそう吹くこともできない、というわけでクラリネットは友人に譲り、リコーダーを購入しました。
せっかくリコーダーをやるのだから、上手くなってやろうと、当時代々木にあったバロック音楽アカデミーでプロについて個人レッスンなんぞも受けるようになり、リコーダーアンサンブルなどにも加わって、かれこれ10年近くもやったでしょうか。もちろんその頃はバロック音楽やルネサンス音楽ばかりでした。
その後転職やら転勤やらで、演奏する音楽からは遠ざかり、聞くばかりとなってしまっていましたが、25年ぶりに開かれた大学のクラブのOB会で、Hassyそしてその後Morichanとの再会があり、再びリコーダーを手に、今度は昭和歌謡というバロックとは似ても似つかない曲の演奏に勤しむことになったわけです。(やってみると、案外リコーダーの音色は昭和歌謡に合っているのでびっくりしましたが)
それにしても今の僕を見たら、泣いて僕のリコーダー演奏辞退の申し出を許可した、小学校当時の音楽の先生はなんと思うでしょうかね。
投稿者 tuesday : 2008年04月19日 |