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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(36) 東郷さんの怒り

「条約派」はロンドン軍縮条約が締結できるよう海軍内の分裂を避けるべく「艦隊派」に説得を行いました。「条約派」の岡田啓介が軍令部長の加藤寛治を説得して、昭和5年(1930)3月26日に加藤と末次は、兵力量の決定ついては政府に従うという海軍省の決定に同意しました。ところがであります。加藤軍令部長という方は、4月1日に昭和天皇に条約断固反対を旨とする拝謁上奏をしようとしたのであります。ありゃまあですな。


その日の午前中に、浜口雄幸首相が、ロンドンに送る条約妥結すべしという回訓の案を、昭和天皇に上奏する予定になっていたため、海軍の先輩である鈴木侍従長が「宮中のご都合があるので一日延ばせ」と加藤軍令部長を説得して、その日は思いとどまらせたという裏話があります。このあたりの話は、『昭和天皇独白録』(文春文庫)で昭和天皇が詳しく語っておられます。翌日に加藤軍令部長は、穏やかな内容に改めて上奏を行ったのですが、侍従長が一日上奏を遅らせたのは「統帥(上奏)権干犯」だとして、後に大きな問題となります。


ロンドン軍縮条約は4月22日に締結されましたが、その前日に加藤軍令部長と末次次長は、軍令部として通牒を出して、条約締結に断固反対を表明し、大騒ぎとなります。


条約が締結された時に、東郷さんは次の言葉を発しておられます。「軍縮交渉は戦場だ。カカアを戦場に連れて行くとは何事かぁーっ!」 財部彪さんが夫人を随伴させたことに東郷さんはお怒りになられたのであります。こりゃまた、ありゃまあですな!驚きですな!乃木さんとは違いますな。そうそう、伝え聞くところによりますと、この頃、東郷さんは高齢による認知症を患っていて判断力が低下していたとも言われておりますな。



投稿者 tuesday : 2007年02月04日


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