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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(7) 天心の日本画改革

天心さんは、近代国家にふさわしい新しい絵画の創造をめざし、急進的な日本画改革を進めようとしていたのであります。明治29年(1896年)に東京美術学校に西洋画と図案の二つの科を設け、さらに翌年には日本絵画協会第二回共進会という展覧会で横山大観さんや菱田春草さんに新しい画法による「無我」「拈華微笑」を出品させております。


ところがであります。日本古来の伝統絵画に固執する人たちから激しい反発を受けることになり、天心さんを排斥しようという反岡倉派による東京美術学校騒動が起こってしまいます。明治31年(1898年)に、天心さんとそのお弟子さんたちは、泣く泣く辞職して東京美術学校を去るのでありました。おそらく、この騒動事件は、天心さんの急進性に対する単なる反対だけから起こったのではないと、もりちゃんは思いますな。


人間の居る世の中、いつの時代も常に妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)というものがあるのでございまして、いやいや人間だけではありませんな、サルの世界も同じですな。ボスザルへの嫉妬があるのですな。人間は、やはりサルの仲間であるのでございますな。人間って、これだけ文化・文明を発展させ、科学を発達させ、生活を豊かにしたにもかかわらず、嫉妬の世界は何ら改善や進歩がなく、サルと同じ穴の狢(むじな)なのでありますな。優秀な頭脳を持っているのに、人間って、地球上に出現して、何年人間やっているのだろうね。未だに進歩と反省がないね。サルでも「反省!」するのに、もう、まったく!


天心さんは、明治31年(1898年)10月に東京美術学校の教授であった橋本雅邦さん(1835-1908年、この方は弟子ではないですが、天心さん派であったのですな)をはじめとする横山大観さん、下村観山さん、菱田春草さんらの青年作家たち26名の同志とともに「日本美術院」を東京の上野谷中に創設したのであります。


彼らは日本の伝統絵画に西洋画の長所を取り入れた新しい日本画の創造を目指し、第一回の日本美術院展で、大観さんは「屈原(くつげん)」、観山さんは「闍維(じゃい)」、春草さん「武蔵野(むさしの)」を出品したのであります。ところが、大胆な没骨描法を使っているので、彼らの画法は「朦朧体(もうろうたい)」「化物絵」などと呼ばれて激しく非難され、世間から受け入れられなくなり、とうとう美術院の経営は行き詰まってしまったのであります。



投稿者 tuesday : 2006年08月07日


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