古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(10) 天心・大観たちの五浦

自然に恵まれた五浦の環境は、横山大観さん、菱田春草さん、木村武山さん、下村観山さんたちに、新たな日本画を創造するという強い意志をかきたてさせたのであります。横山大観さんたちは、それまで不評であった「朦朧体」を改良して、明治40年(1907年)に発足した文部省主催の展覧会「文展」に、大観さんは「流燈(りゅうとう)」、春草さんは「賢首菩薩(けんじゅぼさつ)」、武山さんは「阿房劫火(あぼうごうか)」、観山さんは「木の間の秋」など発表し、ようやく近代日本画史に残る名作として認められるようになったのであります。ちなみに、横山大観さんは、昭和12年(1937年)に第一回目の文化勲章を受章しています。五浦は「近代日本画の源」と呼ばれる地なのであります。


五浦での天心さんの生活は、どんなであったのでしょうか?天心さんは、日々釣り名人から教わって釣りに興じ、ヨットまがいの舟を作り海に浮かべ舟遊びを満喫し、朱塗りの六角堂で一人瞑想に耽り、眼前に広がる青が眩しい空と海を眺めては読書や漢詩つくりをするなど、大自然に包まれて悠悠と過ごしておられたとのことであります。天心さんは、「五浦生」「五浦老人」「五浦釣人」などの号を漢詩や書簡に用いるほど、五浦の生活を愛し、存分に堪能していたのであります。


カールスモーキー石井こと石井竜也さんや野口雨情さんは、もちろん岡倉天心さんとその弟子たちがこよなく愛した北茨城の五浦の景色を体感しています。石井竜也さんの小さい頃からの絵画への情熱は、天心さんとその弟子たちの五浦での活動が影響していると思われるし、竜也少年は何度も天心さんや大観さんたちが偲ばれる日本美術院五浦研究所跡に足を運んで、世界に日本の芸術を紹介した偉人たちが生活した地であることに誇りを感じたに違いないでしょう。野口雨情さんは、天心さんや大観さんたちが自然に恵まれた五浦で芸術に没頭した生活をしていたのを知っていただろうし、自分が生まれた磯原の砂浜海岸と五浦の断崖海岸の北茨城の自然の美しさを体感する中で詩の世界に思いを馳せたに違いないでしょう。


ようやく、昭和歌謡の話に戻りつつあります。ああ、よかった!



投稿者 tuesday : 2006年08月13日


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