古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(11) 宮路オサムも北茨城出身!

北茨城の磯原海岸や五浦海岸の美しい自然は、詩や絵を産み出し、芸術家や詩人、そして音楽家を輩出する不思議な魔力を持っているのかもしれません。野口雨情、岡倉天心、横山大観、菱田春草、木村武山、下村観山、石井竜也、それと、宮路オサム!


「えっー、あの殿様キングスの?」そうです!メインボーカルのおさむちゃんです!おいおい、なにズッコケてんの!北茨城市が生んだ演歌の星ですぞ!昭和48年(1973年)の「なみだの操」(作詞:千家和也、作曲:彩木雅夫)は、300万枚も売れたのですぞーっ!


「もりちゃんよ!今回からようやく昭和歌謡の話に戻るって言ってたんじゃないの?昭和3年に帰ろうよ!」いやいや、慌てる勿れ、皆さん!昭和歌謡ファンたる者、ミリオンセラーの「なみだの操」や「夫婦鏡」(昭和49年(1974年)作詞:千家和也、作曲:彩木雅夫)を唄った宮路オサムちゃんが北茨城市出身であることを知れば、当然、探究心を持って、もりちゃんの話をお聞き願いたい!「もりちゃん、ホドホドにね!」


宮路オサムちゃんの経歴を見るとビックリしますよ。彼は、コメディアンではなく、ミュージシャンだったのですよ。茨城県立磯原高校(カールスモーキー石井さんも同じ高校だったかな?)を卒業後、どのようにしてか知りませんが、あの有名な「小野満とスイング・ビーバーズ」でドラムをやっていたとか。へーっ、偉いね!大したもんだね。見上げたもんだね。屋根屋のフンドシですな。それから「サンライズ」というコンボバンドや「ファンキーガイズ」というロックバンドでドラムをやっていたらしい。その後、どういうことがあってか、昭和42年(1967年)にリーダーである長田あつしらとコミック・バンド「殿さまキングス」(略称:殿きん)を結成したのであります。そういえば、殿きんの舞台で、小太鼓とシンバルを叩いてましたな。


次回は、ほんとに「波浮の港」について語りますよ!



投稿者 tuesday : 2006年08月28日


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