古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(91) 雨情さんと啄木さん、「あゝ、小樽のひとよ!」


啄木さんは9月27日に、雨情さんは30日に小樽入りしています。小樽の駅に降り立った時の、お二人の気持ちはどうだったのでありましょうか? 小樽の駅というと流れる曲がありますな。


♪ラララ、ランラ、ラーン、ラ、ララララ、ランララ、ラーン♪ここから鶴岡雅義さんのレキントギターの調べが始まるのであります。ご存知、ムード歌謡の不朽の名作「小樽のひとよ」(作詞:池田充男、作編曲:鶴岡雅義、テイチクレコード、昭和42年10月発売)のイントロ部分であります。


「♪逢いたいー、♪気持ちがぁー、♪ままぁーぁ、♪ならーぁぬー♪」


ちょっとここで、この鶴岡雅義と東京ロマンチカが唄った「小樽のひとよ」についての逸話を、もりちゃんは語らずにはおれません。「小樽のひとよ」は、もともと「粉雪のラブレター」という曲名だったのであります。「小樽のひとよ」は42年10月に発売されていますが、その前の9月に「粉雪のラブレター」が発売されています。これはどういうことでありましょうか?


テイチクレコードの札幌営業所長が、小樽に本社を置くチェーン・レコード店「玉光堂」の社長に「粉雪のラブレター」のヒアリングを行ったところ、「『粉雪のラブレター』には、小樽が1番にしか出て来ない。もっと小樽を全面に出した歌詞に作り変えてほしい」という意見だったのでありますな。その話はすぐに東京のテイチク本社に伝えられ、高柳六郎プロデューサーから作詞家の池田充男に歌詞変更の要請がなされたのであります。1番の歌詞は小樽が出てくるのでそのままにして、2番と3番が作り直され、再レコーディングされたのであります。10月の発売となったのは、そういう訳でありますな。ところが「小樽のひとよ」は北海道だけの発売でありました。


北海道以外で発売された「粉雪のラブレター」は売れませんでしたが、北海道で発売された「小樽のひとよ」はジワジワと札幌と小樽などで売れ出し、折りしもNHK連続テレビ小説「旅路」(高橋幸治・日色ともえ)が小樽を舞台にしていたこともあってか、全国に広がり、150万枚の大ヒットとなったのであります。鶴岡さんは、編曲もしておられまして、かなりの力の入れようであったのであります。間奏のレキントギターの調べを聴いて、昭和42年当時中学一年生だったもりちゃんは、必死にギターの練習をしたのであります。レキントギターではなかったので、カポタストを5フレットに付けて、何度も何度もレコードが擦り切れるくらいに繰り返し聴いて、弾けるようになったのでございます。


小樽は、歌謡曲によく取り上げられる街でありますな。小樽の街は、運河があり、赤いレンガの倉庫があり、港があり、絵になる北の街であります。「小樽のひとよ」以前では、三船浩が唄った「小樽の赤い灯が見える」(作詞:内村直也、作曲:飯田三郎、唄:三船浩、キング)くらいしかなかったようでありますな。「小樽のひとよ」以降では、どんな曲がありますかな?


「小樽の灯」作詞:吉川静夫、作曲:渡久地政信、唄:青江三奈、ビクター
「おれの小樽」作詞:杉紀彦、作曲:弦哲也、唄:石原裕次郎、テイチク
「小樽運河(都はるみ)」作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、唄:都はるみ、コロムビア
「小樽のめぐり逢い」作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、唄:三條正人、ポリドール
「想い出の小樽」作詞:千野豊彦、作曲:鶴岡雅義、唄:三條正人、ポリドール
「小樽悲歌(エレジー)」作詞:鶴舞ちぐさ 、 作曲:古川はじめ、唄:安藤ゆうじ、ガウス
「おもいでの小樽」作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、唄:松井昌雄、テイチク
「たずねて小樽」作詞:土田有紀、作曲:大谷明裕、唄:森進一、ビクター
「小樽恋唄」作詞・作曲:北村英明、編曲:五代香蘭、唄:北村英明、キング
「小樽恋唄」作詞:新倉百恵(菓匠新倉屋)、作曲:弦哲也、唄:美桜かな子、徳間ジャパン
「小樽夢見坂」作詞:星野哲郎、作曲:中川博之、唄:北川大介、クラウン
「面影の小樽」作詞:新本創子、作曲:鶴岡雅義、唄:瀬口侑希、クラウン
「小樽でもう一度」作詞:礼恭司、作曲:森川龍、唄:加門亮、ホリデージャパン


いやはや、たくさんありますなあ。最近の曲はヒット曲を出そうと、小樽にしがみついている感じがしないでもありませんな。レコード会社の関係者の皆様、ご苦労さまでございます。「小樽のひとよ」を超える曲が生まれますようお祈りしております。


さてさて、雨情さんと啄木さんが着いた当時の小樽は、人口約9万人と札幌の約7万人よりも多く、札幌を凌ぐ程に活気に満ちていたようでありますな。ニシン漁の大漁で、景気はよかったんでありましょうな。そんな小樽の街で、雨情さんと啄木さんはともに、小樽日報社という新しい新聞社で大志を抱き希望に燃えて働こうという心構えであったことは間違いありません。


次回は、雨情さんと啄木さんの小樽日報社での仕事ぶりをお伝えしましょう!では、お楽しみに!




投稿者 tuesday : 2008年05月24日


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