古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(12) 野口雨情の少年時代

いよいよ、もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」は、昭和歌謡の第一号である「波浮の港」の作者野口雨情さんと中山晋平さんについて語ります。ホントにお待たせしました。


野口雨情さんは、眼前に広がる太平洋と砂浜の眺めが素晴らしく美しい北茨城の磯原に、水戸黄門様の御休息所の「観海亭」という「磯原御殿」とも呼ばれた廻船問屋の名家の長男として生まれたことは、既に述べましたな。彼の父量平は、廻船問屋を営み、広い山地や田地田畑を所有し、経営者だけでなく、村長も務める力量と人望のある人だったらしいのですが、明治24年(1891年)雨情さんが9歳の時、父量平は事業に失敗し、多大の負債を抱えることになり、野口家は、没落の一途を辿ることになります。


雨情さんは、小学校を卒業すると明治30年(1897年)に東京の伯父で衆議院議員野口勝一宅に寄宿して東京数学院中学に入学しております。雨情少年は、この頃すでに俳句に関心を持っておりまして、正岡子規(1867-1902年)後援、高浜虚子(1874-1959年)編集による本格的な俳句雑誌「ホトトギス」(これは、後に夏目漱石の「吾輩は猫である」も連載された雑誌ですな)などを購読して、自分でも俳句を作っていたのであります。雨情少年は、俳句雑誌や新聞などを通して俳句鑑賞と創作に熱中し、句会などに足を運んで大人達と交流を始めるようになります。


次回は、雨情少年に精神的な影響を与えた人物について語ります。お楽しみに!


ところで、お知らせがあります。おもひでチューズデーが9月9日(土)にライブに出演し、「昭和歌謡ライブ」を行います。是非、聴きにいらしてください。お待ちしております。詳しくは、このブログの「Kayou情報」の欄をご覧ください。画期的な昭和歌謡のライブですよ!本邦初公開だよー!ヨロシク!



投稿者 tuesday : 2006年09月03日


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