古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(20) ポーツマス条約

日本軍が旅順、奉天、そして日本海海戦で大勝利を収めたことから、明治38年6月に米国のルーズベルト大統領が、日本とロシアに講和を勧告し、ロシアはレーニンたちの革命派の動きが活発化して国内統制が取りづらくなって困っていたんでしょうなあ、結局、講和会議の開催に同意したのであります。9月に米国のポーツマス(米国北東部大西洋に面するニューハンプシャー州、2005年まで米国海軍工廠があった所)で開催された講和会議で所謂「ポーツマス条約」が締結されました。その主な内容は次のとおりでありました。


1.日本の韓国における政治・軍事・経済上の優越権および指導・保護・監督を行う権利を承認すること。
2.日露両国は18ヶ月以内に、鉄道守備隊を除き全軍隊を満州から撤退すること。
3.関東州租借地および東清鉄道南満州線を、清国の同意を得て日本に譲渡すること。
4.北緯50度以南の樺太島および付属の島嶼(とうしょ)の日本に譲渡すること。
5.沿海州漁業権の日本国民に供与すること。


日本はこのような内容を勝ち得ましたが、要求していた賠償金15臆円は獲得できませんでした。戦時中に増税と物価騰貴による生活苦に国民は耐えており、当時の日本の一般会計歳入は2億6000万円程度であったのに対して、日露戦争の戦費は17臆円を超えたと言われてますな。戦争は金がかかるのですな。戦争は莫大な金と尊い多くの命を失う馬鹿らしい人間の業ですな。人間は愚かですな。


賠償金を取れなかったことに対して、日本国庶民は怒りました。日比谷公園で講和反対の国民大会を開催した民衆は、解散後に警察署、交番、市電、首相官邸、新聞社などを襲い、焼き払って暴動を起こしたのであります。庶民の怒りの爆発であります。庶民にとってポーツマス条約は許しがたいものだったのですな。これが所謂「日比谷焼き打ち事件」でありますな。


この続きは、次回に!



投稿者 tuesday : 2006年11月25日


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