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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(26) 司馬遼太郎と本土決戦


司馬遼太郎さんは、昭和20年に本土決戦のため満州から栃木県佐野市に入ります。南関東に米軍が上陸したら、北関東の栃木から東京への南に戦車を走らせて迎え撃つ作戦に参加するためです。司馬さんは、この作戦に疑問を持ちました。米軍が南関東に上陸して東京方面に北上してくれば、神奈川や東京に住む大量の住民が逃げて北上するため、道は逃げてくる人々で埋まり、その中をとても戦車は進めないと思ったからです。


司馬さんは、その疑問を上官にぶつけたところ、その上官は「構わん、ひき殺せ!ひき殺して進め!」といったそうです。ありゃまあですな。司馬さんは、誰のための本土防衛だと思い、本末転倒な軍部の考えに怒りを持ったと言っておられましたな。それ以来、司馬さんは戦争の悲惨さや国家や軍部のエゴイズムを徹底的に批判するようになったのですな。


どうやら、司馬さんが乃木さんを「愚将」と烙印を押したのには、ノモンハン事件とこの本土決戦の作戦に係わる部分が影響していると、もりちゃんは推理します。


次回は、東郷さんを語るもりちゃんであります。乞うご期待!



投稿者 tuesday : 2006年12月27日


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