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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(25) 司馬遼太郎とノモンハン事件

司馬さんは、どうして乃木さんを「愚将」としてしまったのか、もりちゃんは語ります。


司馬さんは、昭和18年(1943年)に学徒出陣により兵庫県加古川の戦車第十九連隊に入隊し、昭和19年12月に満州牡丹江に駐留した久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属され、昭和14年(1939年)5月から9月にあったノモンハン事件の真実を知りました。


「おーい、もりちゃん、野口雨情から日露戦争、乃木希典まではいいけどさ。何で司馬遼太郎からノモンハン事件へ行っちゃうのよ!昭和歌謡は何処に?」昭和の時代を知る上で、これは貴重な情報であります。ちょっと我慢してお聴きくだされ!


ノモンハン事件とは、満州国とモンゴル人民共和国の国境近くの草原で、国境線をめぐって日本とソ連が主に航空機と戦車で争った激しい戦いです。日本は1万8000人も戦死者を出して、大敗を期してしまったらしいのですが、当時日本本土ではひた隠しにされていたようです。


司馬さんは、日本の戦車の鋼鈑が薄くて柔らかく敵の弾を跳ね返さず、戦車自体の馬力もなく頼りないもので、それに比べソ連の戦車は鋼鈑も分厚く馬力もあり、技術力の差が際立った戦いだったことを聞かされたようです。


司馬さんは、日本の戦車はギアが入りにくく操縦が困難で、故障も多いことを体験しており、これで戦うには無理がある、改良が必要だと思っていたようですな。それにもかかわらず、日本陸軍は天皇陛下から授かったものであり人間の精神力で克服すべきだとして、改良されなかったといいます。司馬さんは、かなりの不満をもっていたようであります。それも、ノモンハンは草原がただただ広大で何もない不毛な地で、領土争いをしても意味が無いような処、そんな処で戦う計画をした日本陸軍の参謀たちの無謀さによって1万8000人もの大量の戦死者が出たことへの腹立たしさ、苛立ち、悲しさを、司馬さんは強く感じたのだと思います。


司馬さんの話は、次回も続きます。



投稿者 tuesday : 2006年12月23日


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