もりちゃんは、昭和3年の古賀政男の青春時代を語ります。この話題で、また数回連載となります。昭和3年は、なかなか終わらないですな。野口雨情さん、中山晋平さん、ごめんなさい。もう少し、お待ちくだされば幸いでございます。
昭和3年、古賀政男は明治大学商学部本科の4年生でありました。実家からの仕送りも少なく、生活費や学費で苦しみながら学生生活を過ごしていました。彼は、明治大学が神田駿河台にあったことから、神田すずらん通りにある須賀楽器店が経営する神田駿河台音楽学院でギターとマンドリンの講師をやりながら、生活費と学費を捻出していたのでした。
古賀政男は、大正12年(1923年)に明治大学に入学すると、マンドリン倶楽部創設に参加してます。当初の部員の数は12~3名、その半数がマンドリンを弾くのが初めてという初心者でありました。そのマンドリン倶楽部が、昭和3年(1928)5月には、なんとNHKのラジオ放送で古賀政男が指揮をして演奏しております。
6月には改造社から「マルクス・エンゲルス全集」が発売になり、当時の学生は本屋の前で徹夜をして並んで買い求めたといいますな。古賀政男は、あまり恵まれた生活境遇でなかったためか、社会の諸矛盾を感じていたらしく、共産党への入党も考えたらしいのですが、音楽への熱い思いが強かったのでしょうな、政治活動にはのめり込みませんでした。
もりちゃんは、時々神田界隈の本屋街をうろうろしておりますが、「古賀政男がこのあたりで仲間たちと徹夜をして並んでいたんだなあ」と感慨深げに当時を想像したりしております。神田は本屋と楽器屋と食べ物屋が並ぶ学生街で、古賀政男と関係の深い町ですな。特に、「明治大学の前に並ぶ楽器屋さんは、古賀政男のマンドリン倶楽部が少なからず影響していたのかなあ」と物思いに耽ったりしているもりちゃんです。
古賀政男の「昭和3年:青春物語」は、まだまだ続きます。
投稿者 tuesday : 2006年06月07日 |