大正6年(1917)3月にロシアに革命が起き帝政が倒れ、11月にレーニンが率いる社会民主労働党がソビエト政府を樹立したことが引き金になって第一次世界大戦は大正7年(1918)11月に終結を迎えたのであります。
もともとこの大戦はドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟の陣営とイギリス・フランス・ロシアの三国協商の陣営の戦いでありましたから、ソビエト政府がすべての交戦国の政府と人民に、革命前に旧ロシア政府が締結した秘密条約の公表と廃棄を宣言して、無賠償・無併合の公正な講和を呼びかけたものですから、ドイツとオーストリアの政府と人民は心を動かされたのでしょうか、大正7年(1918)3月にソビエトと講和条約を結びました。そして、11月にドイツとオーストリアは降伏して大戦は終わったのですな。
大正8年(1919)3月1日に日本に植民地支配されていた朝鮮では独立を宣言して三・一運動が、中国では5月4日に抗日民族運動として五・四運動が起きていましたが、ベルサイユ宮殿で年初から半年にわたって開かれていた第一次世界大戦の講和会議にて、戦勝国側に立った日本は、山東省の旧ドイツ領の青島(チンタオ)の権益継承と赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委託統治を正式に認められたのであります。
大戦後の大正9年(1920)からは所謂戦後恐慌がやってきますが、殆ど戦っていない日本は鼻息荒く、アメリカやイギリスと戦艦などの建艦競争をするのです。この段階で日本は「一等国」になったのであります。アメリカやイギリスは恐慌下での建艦競争は各国の重荷だったようですが、日本は威勢がよかった。日本はこの大戦でかなりの大金を手にし、日露戦争時に戦費を賄うために発行した膨大な外債も全部返して、まだおつりがあったようですな。苦しいアメリカにとっては困りもので、アメリカ大統領ハーディングが呼びかけて、軍縮と極東・太平洋問題を討議する「ワシントン会議」が大正10年(1921)11月から翌年2月まで開催されるのであります。
これ以降の軍縮の流れに東郷さんや山本五十六さんが登場するのであります。この続きは、次回に!
投稿者 tuesday : 2007年01月25日 |