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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(35) 東郷さんと五十六さん

昭和5年(1930)1月からのロンドン海軍軍縮会議には、全権代表として元首相の若槻礼次郎さんと海軍大臣の財部彪さんらが参加しておりました。財部彪さんは、欧米の流儀に従って、夫人を随伴させております。それに先立つこと4ヶ月前の大正4年9月から予備交渉がロンドンで行われて、その予備交渉代表として山本五十六さんは参加しておりました。予備交渉会議での山本五十六さんの冷静かつ理詰めな話を聴いたアメリカやイギリスの代表たちに「日本の海軍にも政治能力を有した優秀な軍人がいる」と噂されたらしいですな。


山本五十六さんは2度のアメリカ滞在経験がありました。1回目は大正8年から大正10年までハーバード大学に留学しています。2回目は大正14年から昭和3年まで駐在武官として滞在し、親米派でありました。彼は、通算6年間くらいのアメリカ滞在中にデトライトの自動車工業地帯とテキサスの油田地帯など、情報収集のためいろんなところを見学したらしい。「無制限にアメリカと建艦競争をしても、国力が違う、日本は太刀打ちできない」と仰っていたようですな。だから、軍縮に賛成であったし、真珠湾攻撃の際には奇襲攻撃しかないと考えておられたのです。


昭和5年(1930)1月の段階で日本国内では海軍の軍令部長だった加藤寛治や次長の末次信正が、艦隊司令官クラスを中心に東郷さんを引っ張り出して軍縮会議で何としても対アメリカ7割を強硬に主張する「艦隊派」を構成していました。ここで東郷さんが登場するのであります。一方、呉鎮守府長官の谷口尚真、野村吉三郎中将(太平洋戦争開戦時の駐米大使)、軍事参議官の岡田啓介(後の首相)や山本五十六さんなどは穏健に条約批准を推進する「条約派」を構成し、海軍が真っ二つに割れておりました。



投稿者 tuesday : 2007年02月03日


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