雨情さんは、栃木の友人の家に2ヶ月ほど厄介になっていたのですが、6月の終わり頃、何を思ったのか、カラフトに向かったのであります。カラフト?そう、北海道のずっと北にある樺太であります。前年(1905)に日本が日露戦争でロシアから勝ち取った処だから、雨情さんは行ってみたかったのかなあ?
もりちゃんが、なぜ日露戦争のお話を雨情さんのお話の途中で長々としていたか、お判りですか?日露戦争で日本が勝たなければ、雨情さんは樺太へは行かなかったのであります!野口雨情と日露戦争は、このように繋がりがあったですよ!
さて、雨情さんの樺太への旅は、さすらう男のひとり旅だったのでしょうか?いや、いや、それが、そうではなかったようですな。どうやら愛人を連れて行ったらしいのです。ありゃまぁですな。あの水戸の芸者さんでしょうかなあ?愛の逃避行ですか?以前お話しました女優岡田嘉子と演出家の杉本良吉と樺太から雪の中を馬橇に乗ってソ連に亡命した昭和13年1月の悲劇の逃避行を思い出してしまいます。(「『波浮の港』が流行した昭和3年とは?その⑦女給さんと放浪記」をご参照ください。)
現在の男女は、このような逃避行はしませんな。すべてを投げ出して、男と女が一緒に北の果てに逃避するなんて、今のご時世では考えられませんな。そこまでしても好きな相手なんて、いないでしょう?「あんた、勝手にして!」「なんで付いて行かなあかんの?」が正直なところではないでしょうか!最近の女性は贅沢で冷たいですからな。
「もりちゃん、もりちゃん!」
あれっ?どなたさんですか?読者の方ですか?
「そうでないでやんす。わすでやんす。」
わすって、誰ですか?
「雨情です。野口雨情でやんす」
えっー?ありゃまぁ!雨情さん?
「樺太に行った話をしたいでやんす。いろいろとあったんでやんす。」
次回は雨情さんが特別出演で語りますよ!お楽しみに!
投稿者 tuesday : 2007年02月25日 |