食事付きで寝泊りできる帳場の仕事で、精神的にも落ち着き、少しばかり金を稼いだ雨情さん、このままでは男の意地が廃るという思いで、夏の終わりにコルサコフの町を離れ、北に向かいました。樺太鮫の尾っぽのところから背ビレ(東海岸)の付け根にあるポロナイスク(敷香町:しすか)に向かったのであります。
雨情さんは何を求めていたのでありましょうか?ポロナイスクの町で何を見たのでしょうか?一ヶ月程滞在した後、雨情さんは、また移動します。ロシアとの国境線である北緯50度線を目指したのであります。雨情さんは、北の果ての地に何を求めていたのでありましょうか?雨情さんは、原生林の中を歩き、国境まで目指します。
「若気の至りというもんでやんしょうな。風の冷たい処でやんしたよ」
雨情さんは、秋冷えのする原生林の中を歩きに歩きました。その時の雨情さんは、間宮海峡を発見した間宮林蔵(1775-1844)か、「北海道の名付け親」で北海道を探検した松浦武四郎(1818-1888)のような心境だったのでありましょうか?西海岸の国境付近にあるヴォズヴラシチェニエ(安別町)という町に辿り着きます。樺太鮫でいうと背ビレから胸ビレの辺りまで胴体を横断踏破したのであります。そこで、彼は何を見つけたのでありましょうか?
投稿者 tuesday : 2007年04月01日 |