古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































メンバーズブログTOPへ > morichan > 童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(49) 野口雨情、坪内逍遥大先生のお世話になる!


童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(49) 野口雨情、坪内逍遥大先生のお世話になる!

愛人と旅に出て、その愛人に逃げられ、失意のうちに男一匹、北の果て樺太を流浪さすらったうえ、一攫千金を夢に安いリンゴを買占め、喜び勇んで東京に戻ったが、リンゴは腐って売り物にならず、落ちリンゴを騙されて買わされたことが判明、雨情さんは、さぞかし自分の不甲斐無さや御人好しの性格に嫌気が差したに違いないでしょうな。


大儲けが出来ると思って、リンゴにありったけの金を投資してしまったため、雨情さん、殆ど所持金を持ってませんでした。雨情さんは、仕方なく、恥を偲んで、北茨城の磯原で自分の実家を守ってくれている妻のひろさんに東京までお金を持って来るように頼みます。ひろさんは、何処へ行ったか分からぬ夫から突然連絡があり、びっくりして赤ん坊の長男を背負って北茨城の磯原から駆け付けます。


「お願いです、磯原に帰って来てください」
「わすは、帰らないでやんす」
「どうして?」
「わすは、詩を書きたいでやんす。詩人になりたいでやんす」
「磯原の家はどうするの?」
「わすは、磯原には帰らないでやんす。東京で詩を書くでやんす」
「私とこの子はどうすればいいの?」
「東京で一緒に住めばよいでやんす」
「東京に住むって、当てはあるんですか?」
「坪内先生にお願いするでやんす」


「困ったときの坪内大先生」って感じなんですかね。雨情さんは、恩師の坪内逍遥大先生のお世話になり、この年(明治39年・1906年)11月に、仕事を得て、東京の新宿西大久保に、妻のひろさんと赤ん坊の雅夫ちゃんを呼び寄せ、三人親子水入らずで暮らし始めます。雨情さんは、樺太での寂寥や北の果ての自然の荒涼感を知った自分の心に問いながら詩の創作に燃えます。詩人としての生活をスタートさせたのであります。この時の雨情さんは、心と精神が研ぎ澄まされ、透徹していたと言われていて、相当猛烈に頑張ったようでありますな。


雨情さんは東京専門学校(現早稲田大学)を中退しても坪内逍遥先生とは連絡を取っていたようでありますな。この坪内逍遥大先生とのお付き合いが雨情さんをまた北の地に赴かせるのであります。それは、どういうことでありましょうか?次回以降をお楽しみに!



投稿者 tuesday : 2007年04月15日


トラックバック


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kayou.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/226

★【 熱意ブログランキング 】★12 NPO・ボランティア にほんブログ村 音楽ブログへ ブログランキング

BS blog Ranking  【ブログ探検隊】人気ランキング