さてさて、この頃の野口雨情さんは、乃木大将に「今までにない詩を作ろうど思っているでやんす」と吐露する程、大きな夢に向かって飛躍したい気持ちでイッパイだったと思いますな。一生懸命になって書いて出した月刊パンフレット民謡詩集「朝花夜花」は好評だったのですが、詩人としての地位を確保するには、まだもう一歩というところだったのです。「朝花夜花」には、後に「烏なぜ啼くの~、烏は山に可愛い七つの~、子があるからよ~」の童謡で有名になる「七つの子」の原型の詩「山烏」が掲載されています。
烏なぜなく
烏は山に
可愛い七つの
子があれば
雨情さんが目指す詩の世界を確立するまでには、まだもう少しの月日が必要だったのですな。とにかく詩人として、うまくいかない自分の人生に、雨情さんは相当な歯痒さを感じていたと思われます。
女と旅立った北の果てへの旅も、途中で女に逃げられ、荒涼とした樺太を歩き回った挙げ句に手に入れた野望のリンゴが腐ってしまっていたことが象徴するかのように、雨情さんの気持ちは、空回りの連続だったのでありますが、彼はここで何とか打破したいと思っていたに違いありません。
投稿者 tuesday : 2007年05月12日 |