古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(58) 坪内逍遥大先生のハローワーク!


雨情さんの東京での生活は、妻と子供を抱え、決して楽ではありませんでした。とにかく働かなければなりませんでした。生活が楽になるような給料の高いよい仕事はありません。安い給料の仕事をしながら頑張るしかなかったのです。雨情さんが望む「今までにない詩」を書くことに専念できる環境は、なかなか手に入れることはできませんでした。労働と詩作が両立するなんて、当時の雨情さんにとって夢の夢でありました。


夢に近づくために当時の文学者の多くは、新聞記者になりました。やはり書くことが上手で観察力があり自己主張が強いとなれば、当然なんでしょうな。でも、新聞記者を目指す人は多く、競争率も高かったに違いありません。


雨情さんの恩師である坪内逍遥先生は、雨情さんのように東京専門学校を卒業した定職に着かない若者たちの就職斡旋をやっておられたようでありますな。雨情さんたちにしてみれば、坪内大先生は所謂ハローワーク的な存在であった訳です。雨情さんは、樺太から帰って、腐ったリンゴを前に茫然となり、その時も坪内先生に就職斡旋を依頼しましたが、斡旋してもらった仕事は、給料も安く、生活が楽ではなかったのですな。雨情さんは、もっと給料のよい仕事を坪内先生にお願いしていたようです。「困ったときの坪内大先生!」ですな。


ある日、雨情さんは坪内先生からの手紙を受け取りました。
「君の希望してゐる新聞社が札幌にあるらしい。大した新聞ではないか知れぬが、梅沢君を訪ねて行くやうに」
雨情さんは、早速行動を開始します。この続きは次回をお楽しみに!




投稿者 tuesday : 2007年05月18日


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