古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(63) 雨情さん、いざ北海道に向かわん!


九段上の旅館で会った札幌北鳴新聞社(言い忘れましたが、後の北海道新聞社ですな)の社長伊東山崋さんに「明日の晩に、東京を発って札幌に戻るつもりだ。上野駅で落ち合って、一緒に札幌に行こう。いいだろう?」と言われ、「わっ、分かったでやんす。いくでやんす。わすは頑張るでやんす」と決意した雨情さん、7月下旬の夕暮れ時に慌てて旅館から飛び出し、梅沢さんと別れ、自宅に戻ると思いきや、汗を拭き拭き坪内逍遥大先生宅へ走ります。


「野口雨情でやんす。先生は御在宅でござんすか?」
雨情さんは、坪内逍遥大先生の屋敷の奥座敷に通されると、懐から手拭いを出して、頬や首筋を拭きながら、大先生を待っていた。座敷から見える大きな庭からは、夕方になっているのに、まだ蝉の声がうるさく聞こえていた。雨情さんは蝉の声を聞きながら汗を拭っていた。しばらくすると逍遥大先生が入って来られた。雨情さんは、慌てて手拭いを懐に戻し、手をついて深々とお辞儀をした。
「新聞社で働く件は、どうなりよったかね?」名古屋出身の坪内逍遥先生は、名古屋弁なまりで訊ねた。
「先生、大変お世話になりました。先程、梅沢先生にご足労いただぎましで、札幌北鳴新聞社の伊東山華社長にお会いしで、明日の晩に、伊東社長と一緒に北海道さ出発するごどになりましたでやんす」雨情さんは、依然頭を下げながら答えた。
「ほう、ほう、そうか、ほりゃーよかった。それにしても、急な話だがね。そうだ、北海道にゃぁアイヌがいるから、アイヌを主題にしたもんを書くようにしたらええ。頑張ってきてちょ。」
「ははーっ」雨情さんは、一層深々と頭を下げた。
「そうだ。ちょっと待ってちょ」と言って、逍遥先生は立ち上がり、座敷を出て行った。
雨情さんは、また懐から手拭いを出して、顔の汗を拭った。雨情さんは、旅立ちが差し迫っているにもかかわらず準備が何もできていないために落ち着かない心持ちの自分を静かに落ち着かせようとしていたが、暑さの所為もあって、制御できない自分に困り果てていた。手拭いで顔をゴシゴシと強く拭いていると、逍遥先生が戻られた。雨情さんは、慌てて手拭いを懐に戻した。
「こりゃー、わずかで恐縮だが、汽車の中で食べる弁当代の足しにしてちょーよ」と逍遥先生は、餞別を雨情さんに差し出した。
「とんでもねえです。お気持ちだけで充分でやんす。ありがどさんでやんす」


雨情さんは、その餞別を辞退したと言っていますが、果たしてどうしたのでありましょうか?雨情さんは、坪内逍遥大先生宅を出てから、早稲田詩社の仲間の人見東明さん宅を訪ね、明晩に札幌に発つ旨を伝え、夜遅く、奥さんと子供さんが待つ自宅に戻ったのでありますが、その夜、恐妻家の雨情さん宅では、ひと波瀾あったことは想像に難くありませんですな。そりゃあ、奥さんは怒るでしょう!雨情さん。


翌日の夜、上野駅発10時の汽車で、ついに雨情さんは札幌北鳴新聞社の伊東山華社長と北海道は札幌に向かったのであります。


雨情さんは、北海道でどんな体験をしたのでありましょうか?この続きをお楽しみに!



投稿者 tuesday : 2007年06月30日


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