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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(59) 雨情さん、北海道行きが決まる!

雨情さんは、坪内逍遥先生から北海道札幌にある新聞社への就職斡旋の手紙を受け取るや否や、訪ねるよう指示があった小石川の鼠坂上に住む梅沢和軒氏の家に向かったのであります。


坪内先生が紹介した梅沢和軒氏は、早稲田を卒業して西行法師の研究家であった人で、父親が根室裁判所の判事であったことから北海道で育ち、北海道の事情通であったのであります。


雨情さんは、深々と梅沢氏に頭を下げて、次のように挨拶を始めました。
「以前から坪内先生に新聞記者の仕事をご紹介いただげるようお願いしでおりました野口雨情です。この度は、大変お手数をおがけするごどになり、恐縮でござんす。何卒、よろしぐお願いいだします。わすは北海道で頑張りでえです。わすは新聞記者さ向いてるど思います。札幌のどんな新聞社で働くのですが?良い仕事ができますが?給料もそごそごよいですが?」
梅沢氏は、師匠にあたる坪内先生からの依頼であるため、無碍にもできず、雨情さんを出迎えたのでありましょうな。
「札幌の大した新聞社ではありませんが、そこの社長の伊東山崋という人を紹介しましょう。たまたま、山崋君は東京に来ておられる。彼は生まれが福島の若松藩で志士のような雰囲気がある大変愉快な人だ。九段上の旅館に泊まっておられるから、今から行って紹介しよう」


九段上といえば、招魂社(今の靖国神社)の近くであります。小石川からは少し距離がありますが、梅沢氏は一緒に九段上の旅館まで付いて行ってくれたのであります。おそらく本郷通りから小川町に出て、右折をして靖国通りを九段に向かったのでありましょうか。7月の下旬の暑い盛りでしたから、九段の急な坂を登っていくのは大変だったでしょう。雨情さんは、汗を拭きながら、「暑いでやんす。参るでやんす。梅沢さん、申し訳ないでやんす」と言いながら歩いていたのでありましょう。


雨情さんは伊東山崋社長に会ったときの印象をこう語っております。
「なるほど、志士的な気概に溢れでいるような人でありましで、言語も態度もまごどに純朴ですが、いったん、国を論じ、世を議するどなれば、その熱烈さには敬服しましたでやんす」


山崋社長は雨情さんにこう言いました。
「雨情君、君の夢を叶えるために、協力しよう。坪内先生や梅沢君からの紹介でもある。責任を持って当社は君を迎えるよ」
「ありがたいことでやんす」
「明日の晩に、東京を発って札幌に戻るつもりだ。上野駅で落ち合って、一緒に札幌に行こう。いいだろう?」
「明日の晩?でやんすか?」
「どうした?」
「わっ、分かりましたでやんす。行せてもらうでやんす。わすは頑張るでやんす」
雨情さんは、急に話が纏まってしまい、かなり困惑したが、翌日の出発を決心したのであります。
雨情さん、奥さんや子どもさんはどうするつもりなの?って思わず聞きたくなりますな。



投稿者 tuesday : 2007年05月26日


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