古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(69) 雨情さんと啄木さんの朝ごはん話「函館の大火」

雨情さんと突然の訪問者石川啄木さんは、向い合せになって朝ごはんを食べています。
「いやーっ、札幌は大いなる田舎です、木立の都です、秋風の郷です、しめやかなる恋のありそうな都です、道幅広く往来の人は少なく、木は繁って蔭を作り、人はゆっくりと歩いている、空を仰ぐと天は広い、札幌は詩人の住むべき地です、懐かしい地です、静かな地です、ああ、爽やかな札幌の朝、美味しい朝ごはん、雨情さんにお会いできて、ホントによかったです。はっはっはっ!」
啄木さんは、口にご飯を一杯に詰め込んで、嬉しそうに笑っています。
雨情さんは、啄木さんの表情を窺いながら、
「石川さん、よぐ遠方から、訪ねでぐださった。朝早くがら誰が訪ねでぎだがと思ったら、『明星』で素晴らし詩をお書きになっている石川啄木さん、わすはびっくりしたでやんす。ホントによぐ訪ねでいらっしゃったでやんす」と改めて挨拶をしますと、
「いやーっ、遠方からだなんて、実は盛岡からやって来たわけではなく、僕はしばらく函館で生活をしていました。昨夜の遅くに函館から汽車に乗って出てきました。はははっ」啄木さんは皿に盛られた漬物に箸を伸ばしながら答えました。
雨情さんは、「えっ、この人は、盛岡から来たわげではねえのが!、函館に住んでいたあ?どうしで函館に住んでいたの?それにしでも大きな荷物を持っているし、何しに札幌さ来たんだ?」と思いながら箸に抓まれた漬物が啄木さんの口に入るのを見届けてから、
「そうでやんすか?」
と驚きと不安を隠した声で言いました。
「いやーっ、雨情さん、函館では豪(えら)い目に遭いましたよ!はははっ」と啄木さんは語気を強めて箸を振り、漬物をポロポリと噛む音をさせながら、雨情さんに「ご存知でしょう?」と訊いてきました。
「大火でやんすか?」
啄木さんは箸を止めて大きく頷きながら語り出しました。
「そうです。大火事です。函館は、全部燃えてしまいました。僕の書いた小説や詩は灰になってしまいました・・・。それはそれは残念です、残念至極であります・・・。苦心して書いたあの小説『漂泊』は自分にとってはなかなかの出来でした・・・・。でも、もういいのです。」啄木さんの高笑いは消えていました。


明治40年(1907年)8月25日に函館で大火があり、40万坪、焼失町20ヶ町、焼失家屋12,390戸、死者8人、負傷者1,000余人という甚大な被害が出ています。函館は、札幌(当時は函館の方が大きな街でした)と同様に昔から火災の多発地帯で、これまで幾度と無く大火災に見舞われ、焼失戸数が1,000戸を越す大火は明治から数えると約10回もあり、10,000戸を超える大火は、この明治40年8月と昭和9年3月(24,186戸)に起きておりますな。


啄木さんの運命は、この大火によって変わったと言う説もありますが、果たしてどうだったのでありましょうか?
この続きは、次回に!お楽しみに!



投稿者 tuesday : 2007年09月09日


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