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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(73) 啄木さんが土井晩翠先生を訪ねた話

「そうです。島崎藤村先生と併称される土井晩翠先生です」
啄木さんは、少し胸を反らせて、落ち着いた声で答えました。


土井晩翠先生と島崎藤村先生は、日清戦争に勝利した明治27年から28年(1894~1895)当時に国民感情がかなり昂揚していたのを背景に、人気を集めた詩人でありました。藤村先生は、日本の文学的伝統の流れを汲む和風の抒情詩を、晩翠先生は、西洋や東洋の文学的伝統の流れ汲んで歴史的英雄等を漢語で叙事詩を描いています。


「両先生とも、わすらの目指す新体詩の先駆者でやんす」雨情さんは、自分も新体詩の流れを受け継ぎ発展させる役割を担わなくてはならないという自覚がありました。
「両先生とも明治15年の井上哲次郎先生や外山正一先生らが訳した『新体詩抄』の影響を受けたようですね」
啄木さんは、澄ました顔で言いながら、漬物に箸を伸ばしました。
「立派な本でやんす。新体詩を目指す人は皆影響を受けているでやんす。でっ、啄木さんは晩翠先生に会われで、どうなすったでやんすか?仕事でも紹介してもらったでやんすか?」
「はっはっはっ、いやーっ、2回お邪魔し、晩翠先生と歓談しました」啄木さんは漬物を軽い調子で噛みながら続けました。「奥さまの八枝様にもお会いしました」
「その方は、確か上野の音楽学校を出られだ才女って聞いたごどがあるでやんす。晩翠先生と大恋愛の末、結婚されだどが」
「はっはっは、はっはっは、雨情さんはよくご存知ですね。はっはっは、おっと、これまた失礼」啄木さんは高笑いで口の中の漬物を飛ばしてしまいました。啄木さんは、慌てて四つん這いになって畳の上に転がった漬物を拾いながら、
「奥さまは、流石に晩翠先生夫人ですね。非常に気立てのよい方で、御入用だろうと申されて、私が泊まっている旅館に15円も包んで持って来られて、おまけに仙台での旅館代も払っていただきました。はっはっは」
と笑って、坐り直しました。
「へーっ、立派なお方だ」
雨情さんは、晩翠先生夫人に感心したのでありました。


この続きは、次回に。次回は啄木さんからどんな話が飛び出すのでしょうか?お楽しみに!



投稿者 tuesday : 2007年09月24日


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