古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(75) 石川啄木塾の開講:「朝読み学習」と「性教育」

啄木さんは、涙を流しながら、語り続けます。雨情さんは、朝ごはんを食べながら聞いています。
「それから、女学校に通う妹を盛岡に残し、父が住職をしていた寺のある郷里に一家は戻りました・・・・。侘しかったなあ・・・・。私は、高等小学校の代用教員の職に月給8円で就きました。生活は大変でしたが、教育の実践と小説・評論を執筆する文学的活動を統一した生活でした。お金が無くって食べていくのは、大変辛いけれど、その時私は思ったんです。詩人は教育者に適していると、つまり詩人は、教育者なのだと思いました」
「詩人が教育者でやんすか?」雨情さんは、箸を止めて、俯いて語っている啄木さんに聞き直しました。すると、啄木さんは、顔を上げ、雨情さんを見つめて、強い口調で、
「そうです。詩人は立派な教育者です。私はそう思います」と言い切りました。啄木さんの眼から、また涙が袴に落ちました。
「詩人は教育者でやんすね。そうだとすると、わすも教育者でやんすね」
雨情さんは、そう小声で言うと、茶碗に目を向けて、箸に乗せたご飯を口に入れました。
「それから、私は課外授業として英語を教えました。それは、日本が日露戦争に勝って日本は世界の先進国の仲間入りをして新しい時代を迎える。そのためには英語は必要なのであります。さらに私は、自宅を開放して朝読み学習をやりました。夜が明け切らないうちから、二十人程の子供たちが私の家に集まってきました。朝から大賑わいです。私の家族も早起きをしなければならず大変でしたが、子供たちの顔を見るのが楽しくて、文句も言わず付き合ってくれました。楽しくって充実した毎日でした。はっはっは!」
啄木さんは、頬の涙を拭いながら、また高笑いをしました。
「へぇーっ、塾までやっていたんでやんすね」
「はっはっは!作文の指導もしましたし、性教育もしました。はっはっは!」
「セイ教育?男と女のアレでやんすか?」
「そうです。アレです。はっはっは!」
「ありゃーっ」
「田舎の農村ですから、文明的ではないのです。馬鹿げた男女間の悪風潮があるのです!はっはっは、」
「わすも啄木さんの性教育講義を聴きたいでやんす。北茨城も田舎でやんすから・・・」
「はっはっは!」
「へへへっ、わすは、女がよく分らないでやんす。是非、教えて欲しいでやんす」
二人は、笑いながら、お互いが打ち解けていくのを感じていました。


もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』」も小説風になってきました。事実をもとにしながらも、あくまでも、もりちゃんの想像力を駆使してのフィクションでありますので、特に野口雨情や石川啄木の研究家の皆様、ご容赦いただきますよう宜しくお願い申し上げます。この続きは次回に!お楽しみに!



投稿者 tuesday : 2007年10月07日


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