「そうでやんすか、そうでやんすか」
雨情さんは、涙に弱いのでありましょうか、また啄木さんに同情して話に聞き入っています。
「それで、ある人から、野口雨情先生が、札幌の新聞社に居られるという話をお聞きしまして・・・・」
「誰から聞いたでやんすか、わすのごとを?」
啄木さんは、少し詰まってから、
「いやいや、野口雨情先生は有名な先生であられるので、どなたも御存知でありますよ」
と頬に涙を流した顔で取り繕い笑いをしながら答えました。
「そうでやんすか、そうでやんすか」
雨情さんは、何かしら納得したかのように、腕組みをして何度も頷いています。
「そこで野口雨情先生!」
啄木さんは、また改まって雨情さんに向かって真面目な顔つきで低い声で続けると、雨情さんは、また丸めていた背を急に反らせて、啄木さんから距離を取ろうとしました。
「野口先生は、北鳴新聞社にいらっしゃいますね!」
「は、はいっ」
「北鳴新聞社で、私を雇っていただくようお願いしていただけませんか?何卒お願いします!」
啄木さんは、額を畳に押し付けるようにお辞儀をしています。
「いやいや、わすも勤めたばかりで・・・・・」
啄木さんはずっと額を畳に付けたままで、
「校正係でも、雨情先生の助手でも、何でもよいですから、札幌までの汽車賃を無理矢理工面してきたものですから、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます」
と言って、頭を上げようとしません。
雨情さんは、驚いて、
「頭を上げでぐだせえ、頭を上げでぐだせえ」
と言って、畳に顔を近づけて啄木さんの顔を覗き込みます。
「野口先生!何とかなりませんでしょうか?」
啄木さんは依然額を付けたまま雨情さんにお願いを続けます。
「そうば言われでも・・・・、頭を上げてぐだせえ」
雨情さんは、頬を畳に付けて、啄木さんの顔を覗き込もうとしています。二人は部屋の真ん中で、お尻を突き上げ、畳に頭を付けた変な恰好で向き合っています。
雨情さんは、屈んだ状態から起き上がり、脊筋を伸ばして、
「分かったでやんす」
と整然とした面持ちで言いました。
「わすの勤める北鳴新聞社は、空いた席がないでやんす。ただす、北門新聞社で校正係が欲しいという聞いた事があるでやんす。幸いに北門新聞社には、啄木さんと岩手県人の佐々木鉄窓君と小国露堂君がいるでやんす。わすが紹介するがら、安心してぐださい」
啄木さんは、畳から額を離し、
「本当ですか?」
と雨情さんを見上げた。
「この二人に頼んでみるのが、一番の近道でやんす」
啄木さんは、雨情さんのその言葉を聞くと、雨情さんの手を握り、
「ありがとうございます。本当にありがとうございます。雨情さんは命の恩人です!」
と何度も言って、涙を流していました。
雨情さんは、新聞社に出社してから北門新聞の小国氏か佐々木氏に電話を入れ、啄木さんのことを頼むことにしました。雨情さんと啄木さんは、朝の10時頃に連れ立って下宿を出て、札幌の街中で別れました。嬉しそうに歩く啄木さんの後姿を見ながら、雨情さんは大きな溜息を吐きました。
「やれやれ、仕事さ、行くべ」
雨情さんは、勤め先の新聞社に向かって歩き始めました。雨情さんの下駄の音が彼の姿とともに札幌の朝の街に消えていきました。
(注)参考文献をリニューアルしましたので、ご覧ください。
投稿者 tuesday : 2008年01月03日 |