古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(85) 啄木さんの家族が札幌にやって来た!(1)

雨情さんは、北鳴新聞社に出勤すると、早速、北門新聞社の小国露堂氏に電話を入れました。
「もすもす、小国さんでやんすか?わすは野口雨情でやんす。お元気でやんすか?わすも元気でやっどります。実は、お願いしだいごとがあるでやんす。小国さん、石川啄木という男を知っでいるでやんすか?」
雨情さんは小国氏に岩手出身の啄木さんを校正係で北門新聞社で雇ってやってほしいと依頼しました。
「野口さん、分かりました。日頃からお世話になっている野口さんからのお願いだし、同じ岩手の出身ということであれば、社に掛け合ってみましょう。石川君は、今日の午後に私を訪ねて来るのですね?」
小国氏は、啄木さんが北門新聞社に訪ねてきたら人事に採用するよう働きかけをすると、快く引き受けてくれました。この小国氏は、社会主義を信奉している人であり、後に啄木さんに影響を与えた人と言われております。啄木さんは小国さんのことを歌に詠んでいます。


平手もて
吹雪に濡れし顔を拭く
友共産を主義とせりけり


その日の夕方、北鳴新聞社にいる雨情さんに、啄木さんから電話がありました。
「雨情さんですか?石川です」
「石川?ああ、啄木さんでやんすか」
「今朝は、突然お邪魔して、どうもすみませんでした。今、北門新聞社から電話を借りて架けています。小国さんにお会いしてお願いしたところ、校正係に採用いただきました。おまけに、社内の三畳部屋をご用意していただき、寄寓することになりました。月給も九円いただけるそうです。助かりました。雨情さん、何から何まで誠にありがとうございました。はっはっはっ」
受話器から聞こえてくる啄木さんの声は、すごく弾んでいるように雨情さんには聞こえました。
雨情さんは話を終えて受話器を置くと、
「それは、よがっだ、よがっだでやんす」
と何度も言いながら頷いていました。


それから三日くらい経った日のお昼過ぎのことであります。小国氏から雨情さんに電話がありました。
「野口さん、石川君の件でお電話しました」
「へえ、啄木さんに何があったでやんすか?」
「実は、石川君のご家族が当然札幌に来られまして、当社の三畳部屋に同居しておられるのです」
「三畳部屋に同居でやんすか?」
「そうなんです。当社は新聞社ですし、狭い処なので、奥さんやおばあさん、そしてギャーギャー泣く赤ん坊がいては困ります。それで、当社としては石川君を説得して、当社の総務が用意したという札幌農学校の奥の方に入った場所に家を借りてもらったんです。石川君に夕方越してもらうことにしたんです」
「ほう、札幌農学校の奥っで、民家があっだでやんすか?」
「そうなんですよ。あの辺りに人っ気はなかったと思うのです。少し心配なので、野口さん、私と一緒に来てくれませんか?」
「心配だっぺ。分かったでやんす。行くべ」
「一応、引越祝いということにして、見に行ってみましょう。私は、酒を買って行きますので、野口さんは豚肉を買って持って来てくれますか?」
「買って行ぎます」


雨情さんは、夜になって新聞社を出ました。薄寒い風が吹いていました。
「啄木っちゅう人は、世話が焼けっぺ」
雨情さんは家路を急ぐ人たちで混雑した札幌の夜の街を歩いて肉屋に向かいました。


この続きは、次回に。



投稿者 tuesday : 2008年02月05日


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