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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(92) 雨情さんと啄木さんとは、同じ職場の同僚なり!


明治40年10月1日は、雨情さんと啄木さんの小樽日報社への初出勤の日であります。雨情さんは、朝早く起きて、啄木さんの家に立ち寄りました。二人で一緒に小樽日報社に行くことにしていたのであります。
「啄木さん、おはようござんす」
「おはようございます」
「いよいよ、でやんす」
「そうですね、雨情さん、タバコをいただけますか?」
「啄木さん、またでやんすか?」
「いつもすみません」
タバコを懐から出そうとしている雨情さんは満二十五歳と四か月、タバコを貰う啄木さんは満二十一歳と七か月でありました。期待に膨らんだ大きな夢を抱いての初出勤でありました。二人は清々しい気持ちで、そして少し緊張した面持ちで、小樽日報社への朝の道を歩いて行きます。


二人の勤める小樽日報社は、今のJR小樽駅の駅前あたりに在って、新築されたばかりの社屋であったそうですな。この日、初めての編集会議が開かれたのであります。出席者は、二人の他に、社長の白石義郎、オーナーの山県勇三郎の弟である中村定三郎、主筆の岩泉江東、佐田鴻鐘、金子狐堂、野田黄州、西村樵夫、宮下某らでありました。啄木さんは、日記でこの会議で「予は野口君と共に三面を受持つ事となれり」と書いていますが、本当のところは、雨情さんが三面の主任で、啄木さんはその下だったらしいのです。「啄木さん、そりゃなかっぺ!」という雨情さんの声が聞こえそうです。


3日目の夜、雨情さんは、新聞社からの帰りに佐田鴻鐘と西村樵夫を連れて啄木さんの住まいに寄って一緒に夕食を食べました。みんなで、豚汁を啜りながら、新しい新聞社についていろいろと話をしたようですな。どうやら西村樵夫という人は、豚汁を食べ終わると早々に帰って行きました。啄木さんは「西村君は遂に我党の士にあらず」と日記に書いています。三人は、11時まで鼎座して語り合ったそうであります。啄木さんは「野口君と予との交情は既に十年の如し。遠からず共に一雑誌を経営せむことを相談したり」と日記に続けて書いています。


5日目の夜も仕事を終えて、雨情さんは啄木さんの処で一緒に豚汁を啜っています。仲がよかったのでありますな。豚汁を食べ終わった8時半ごろ、二人は佐田鴻鐘の処へ行って、蕎麦を奢ってもらって食べています。仲間という感じですなあ。実に楽しそうでありますな。夜中の一時ころに、啄木さんと雨情さんは啄木さんの住まいに戻り、同じ蒲団で雑魚寝をしたそうであります。雑魚寝をしながら、二人はいろんな話をしたようであります。


啄木さんは天井を見つめながら言いました。
「あーあ、詩を書いて有名になって、お金持ちになって、楽に過ごせたらいいなあ」
雨情さんも天井を見つめながら喋っています。
「わすは、日露の戦の時に、50万円を出すて、男爵になろうとしたごとがあるでやんす」
「へぇーっ、雨情さん、そのお金どうしたのですか?」
「親戚から借りだでやんす」
「いい親戚がいていいなあ」
「そうでやんすかあ?樺太さ行ったどきも、親戚にお金を借りだなあ」
「へぇーっ、すごいなあ、雨情さんは!」
啄木さんは雨情さんを見ながら言いました。
「すごい?わすの親戚がですが?」
「はっはっは!」
啄木さんの高笑いが部屋に響きました。


小樽の秋の夜、二人はずっと語り合っていたのでありました。



投稿者 tuesday : 2008年06月15日


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