小樽での雨情さんと啄木さんは、毎日夕飯を一緒にしたり、語り合ったり、まるで昔からの友達のように仲良くしていたのであります。
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人々の
声の荒さよ
雨情さんと啄木さんは、詩人であります。この二人が新聞記者として、活気に満ちた小樽の町を見ながら、何を感じていたのでしょう?金を求めて働く人々が、各地から沢山集まって来ていたのでありましょう。啄木さんは、「自分もその一人だが、自分は歌を歌うことは忘れていない」とでも言いたげでありますな。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
この詩は、明治43年(1910年)に出版された詩集「一握の砂」に「我を愛する歌」として載っている啄木さんの有名な詩であります。実は、この詩は、もとは、
東海の小島の磯の渚辺に
われ泣きぬれて
蟹と遊べり
だったらしいのです。それを雨情さんがアドバイスをして、前者の詩となったという話があります。
いつものように雨情さんと啄木さんは、豚汁を啜り終えた後、啄木さんの部屋でお酒を飲みながら寝転んで語り合っていました。
「雨情さん、最近、歌を作っていますか?」
啄木さんは雨情さんの盃に酒を注ぎ、お銚子をお盆に置いて尋ねました。
「わすは、札幌から小樽さ来て、毎日新聞社さ行って、夜は啄木さんといづも一緒だがら、歌を作る暇なんかないだっぺ。啄木さんは、いつの間に作っているのですが?」
「はっはっは、私は詩人です」
啄木さんは、そう言いながら、机の上にあったノートに手を伸ばしました。
「わすも詩人でやんす」
「はっはっは」
啄木さんは高笑いをしながらノートをめくり、最近書いた詩のページを開き、雨情さんに見せました。
「ふむ、ふむ、ふむ」
雨情さんは、声を出さずに、しばらく口をモゴモゴと動かしていました。
「どうですか?なかなかいいでしょう?」
啄木さんは、自慢げでありました。
「啄木さん、これでもよいげど、『渚辺』は『白砂』に直した方が良いと思うでやんすよ、それに『遊べり』では子供っぽぐ聞こえっちまうので、『たはむる』どした方がええんじゃねえが、わすは、その方がよいど思うでやんすがね」
「はっはっは」
啄木さんは、高笑いをした後、急におとなしくなり、しばらく黙っていたそうであります。
この話は、後年に雨情さんが、泉漾太郎という人に語った話だというのですが、ホントウかウソか、雨情さんのことですから、この真偽は皆様のご想像にお任せします。これがホントウだとすると、雨情さんは啄木さんに指導・助言をした先生ということになりますな。
投稿者 tuesday : 2008年06月29日 |