古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(94) 雨情さん、啄木さんの運命を占う!

小樽日報社へ初出社した翌日、つまり10月2日に、啄木さんの妻節子さんと娘の京子さん、そして母親のカツさんが小樽に来ました。啄木さんの小樽での住居は、花園町にある「南部せんべい店」の2階の六畳と四畳半の二間でありました。啄木さんの家族は、札幌の厩以来ようやく落ち着くことが出来たのであります。


襖一枚隔てた隣室には姓名判断の売卜者(つまり易者)先生が住んでおられまして、名を天口堂海老名又一郎といいました。啄木さんは、この先生と親しくなり、姓名鑑定占いをしてもらってます。


「残念じゃが、おまえさんは、五十五歳で死ぬのう」
「えっ?・・・・・・・」


啄木さんは、五十五歳までの運命と言われて、絶句したのでありますが、ご存知のとおり、啄木さんは明治45年(1911年)4月13日に26歳という若さで肺結核のために亡くなっています。この小樽の生活から僅か4年半後であります。人の運命は儚いものでありますな。


泣くがごと首ふるはせて
手の相をみせよといひし
易者もありき


そう言えば、雨情さんは手相見ができたそうでありまして、啄木さんは雨情さんから手相占いをしてもらってます。


「どれどれ」
雨情さんは啄木さんの手を取ろうとしました。
「どちらの手を見るのですか?」
「啄木さん、利き手はどっちでやんすか?」
「私は右利きです」
「そうであれば、右手が現時点での相を表し、左手が生来の相を表すというのが、通説でやんす」
そう言って、雨情さんは啄木さんが差し出す右手から見始めました。
「どうでしょうか?」
「ほっほっほ」
「なにか?」
「ほうほう、左手はどうでやんすかな?」
啄木さんは、神妙な顔つきで左手を差し出しました。
「どうしましたか?」
「ふむっ、むむむ、おっ!」
「どうなんですか?」
「うむうむ、そうじゃな、啄木さん、にょ、にょなんの相が出ているでやんす」
「にょなん?」
「そうでやんす。ほっほっほ!」
「啄木さんは、オナゴが好きでやんすね?」
雨情さんは、ニヤリとしながら啄木さんを見つめました。
「ええっ?いや、あの、その・・・・」
啄木さんは青白い顔を赤くして否定しようとしました。
「ウッシッシ!いろいろあったでやんすな?ヒッヒッヒ!」
雨情さんは引き攣ったような声で大きく笑いました。
「シーッ!隣の部屋に妻と母がいますので・・・、雨情さん、シーッ!」
啄木さんは、口元に人差し指を立てて、雨情さんに笑いを静めるようにしました。雨情さんは笑いを堪えられず、口からよだれを垂らしていました。


啄木さんは、10月10日の日記に「野口君手相を見る、その云うところ多く当れり」と書いています。雨情さんの占いがいい加減でなかったようでありますな。


さて、家族が来た2日の夕方に、啄木さんは、新聞社から早くも5円を前借しています。家族を出迎えるにあたって、ランプや火鉢などを買うためであります。


いささかの銭借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな


「わが友」とは、啄木さん本人で、この詩は自分の姿を歌ったものであるように思いますな。何となく自分の運命の先行きもハッキリせず、それゆえ漠たる不安を感じ、占い師たちの言動に惑わされている啄木さんの姿が浮かんで見えるようであります。



投稿者 tuesday : 2008年07月13日


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