古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(98) 雨情さん夫婦についての啄木さんレポート!

小樽日報の創刊が迫る10月13日、雨情さんは札幌に来ていた奥さんと長男を連れて小樽に引っ越しをしています。雨情さんは、それまで啄木さん家族が住む狭い二間に時々寝泊りをしたりして、札幌にいた妻ひろさんには殆ど会いに行っていなかったようであります。ひろさんも寂しかったのでありましょう。幼い長男を背負って北茨城から長時間汽車に揺られ、東北を経て、そして海を渡り、遠い道のりを心細い気持ちと夫に会いたいという切ない気持ちを胸に、やっとの思いで北の地北海道札幌までやって来たのに、夫は小樽に行ったきり帰って来ない。雨情さんは、妻や子供のことなんかどうでもよかったのでありましょうか?明治時代の夫は強かったのでしょうか?現代の女性の方から見れば、雨情さんは「許しがたき亭主の典型」でありますかな?


妻ひろさんは、せっかく札幌まで来たのに、夫に会えないという切なさや悔しさが募って、帰って来ない夫雨情さんに「体調が悪いので帰ってきて!」という電報を打ったのですが、雨情さんは「大しだごとねえのに電報で呼びづげよって!迷惑な女だ!どごまでも追いかけでぐる奴だ!」と投げ捨てるように言っていましたな。ひろさんは妊娠していたようで、つわりがきつかったのかもしれません。女のつらさ・切なさが想像できるもりちゃんですが、雨情さんは理解できなかったのか、うるさいと思ったのか、嗚呼、夫婦とは悩ましいですな。夫婦とは一体何でありましょうや?


この引っ越しに啄木さんは手伝いに行っています。啄木さんは、日記にこう書いています。
<野口君の移転に行きて手伝ふ。野口君の妻君の不躾と同君の不見識に一驚を喫し、愍然の情に不堪。>


きっと、ひろさんはつわりで体調が悪く、布団袋かなんかの上に腰を下ろし、雨情さんに「その茶箪笥は、こっちだ!」「その鏡台はあぢらだ!」「それはおらの母にもらった大切なものだがら、ゆっくりと運んで!」「その箱をそうだに乱暴に置いたら、お茶わんやお皿が割っかげっでしょ!」などと大きな声を出して、指示していたのでありましょう!


雨情さんは、家のことはあまり関心がなかったし、ひろさんとの家庭生活もあまりしていないので、勝手が分からず、まごまごしていたに違いありません。それに、雨情さんは、啄木さんという他人がいるにもかかわらず、身体を動かさずに布団袋にどかっと腰を下ろしてコマゴマかつギャーギャーとひろさんが、雨情さんを召使いのようにあしらうので、頭に来ていたと思いますな。


「この箱は、何が入っていんのだっぺが?」
「それは、おらの着物」
「あれは、何だっぺが?」
「あれも、おらの着物」
「こっちは、何だっぺが?」
「それも、おらの着物」
「へぇーっ、いっぱいあるなあ。よぐ、こーたにたぐさん持ってぎだな」
「こごは北の果てよ、寒いのよ。着る物がねえど、これから来る冬は越せねえよ」
「わすの着物は、どごにあるが?」
「あなだのは、その隅にある箱よ」
「どの箱?」
「そっちのちっけな箱よ」
「ああ、これか。他には?」
「それっきりよ!」
「えっ?」
「あなだのは、それだげ」
「・・・・・・」


いやはや、日頃から奥さんを大切にしないと、こんなことになるのですな。世の男たちよ、注意されたし!



投稿者 tuesday : 2008年09月07日


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