穏やかならぬ職場の雰囲気の中、啄木さんは、自分が被害を被らずに過ごしていることに一種の満足感があったのかもしれません。24日の啄木さんの日記に、その満足感を窺うことができますな。
<今日区役所に椿区長を訪ふて教育談をなす。(中略)新聞に対する批評は概ね好評たり。小樽新聞は我が三面を恐ると、さもあるべし。>
雨情さんが謹慎中であったのとは裏腹に、啄木さんは自分の現状に満足していたのであります。あたかも自分が小樽日報社を全部背負っているかのように・・・。そして、それから一週間後の30日に、啄木さんは岩泉主筆から応接室に呼ばれます。
<主筆此日予を別室に呼び、俸給二十五円とする事及び、明後日より三面を独立させて予に帳面を持たせる事を云ひ、野口君の件を談れり。>
啄木さんにとっては、満足感のある中で、遂に給料は二十円から一挙に五円も昇給し、三面の編集責任者を任せられ、内心は大喜びだったのでしょう。おそらく啄木さんは心の中で、「しめた!」と思ったに違いありません。二十一歳で「遂にここまで来た!」とほくそ笑んだと思います。ところが、岩泉主筆が雨情さんのことを
「あいつは馬鹿な奴だ。俺を外そうと画策するから、反対に嵌めてやったわい!石川君、彼の役職を君に任せるよ。君は俺の味方だ。これからも、よろしく頼むよ!」
と語り始めたとき、啄木さんは自分の成功と雨情さんの失敗の明暗に気が付きます。啄木さんは正義感が心の底から湧いてくるのを感じたのです。啄木さんは日記にこう続けています。
<野口君は悪しきに非ざりき、主筆の権謀のみ。>
雨情さんは、翌日の31日に、小樽日報社を退社しました。
「啄木さん、お世話になったでやんす」
雨情さんは深々と啄木さんに向って礼をしました。啄木さんは、雨情さんに寄り添い彼の背中を擦りながら尋ねました。
「雨情さん、これからどうするのですか?」
「どうするが決めでいねえよ。啄木さんとは、深くで短い付き合いだったなあ。元気で、やってぐだせえよ」
雨情さんは、そう言うと、丸めていた背を伸ばし、突然、腕捲りをして、むき出しにした腕を振り回し、大声を出しながら編集室にある活字ケースを押し倒して、新聞社を出て行ったとのことであります。流石に温厚な雨情さんも、相当猛烈に悔しかったに違いありませんな。
投稿者 tuesday : 2008年11月22日 |