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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(105) 雨情さんは何処へ?


雨情さんは、小樽日報社を辞めて、どうしていたのでありましょうか?一説によると、小樽にしばらくいたようであります。それもそうですな、13日に小樽に引っ越してきたばかりで、31日に会社を辞めたからといって、またすぐに引っ越すというのも、身重の奥さんが納得する訳がありません。


雨情さんは、7月に北海道に来てからは、詩を雑誌に発表していませんでしたが、年が明けて1月には、若山牧水の短歌誌「自然」に「独唱詩」という詩を発表しています。おそらく雨情さんは、久しぶりに詩作に耽っていたのでありましょう。4月には雑誌「文章世界」に「機屋」を、5月には「早稲田文学」に「聟取唄」を発表しています。


雨情さんは、詩人として成功するか、それとも金儲けをして成功するか、自分の人生はどちらかだと思っていたのでしょう。金儲けもリンゴ事件でも分かるように商才がないため、文才で金儲けを考えて新聞記者という道を選んだに違いありません。しかし、新聞社を辞めてしまいました。


雨情さんは、5月までの7ヶ月間、小樽で詩作をしながらぶらぶらとしていたようですな。きっと、お金もなく、奥さんのヒロさんも黙っていなかったでしょう、職探しはしていたと思われます。生活費を稼ぐためには、文才を活かした仕事にならざるを得ないのであります。そうすると、また懲りもせずに新聞記者になるのですな。雨情さんは、5月に札幌の北海タイムス(現在の北海道新聞社の前身)に入社し、小樽から札幌に通い始めたようであります。


「詩を書いて生活ができれば、そんなよいごどはなかっぺ。それができれば、うっせえ家内にも鼻が高いだっぺ。んだげんど、それは夢の夢でやんす。わすにできるのは、やっぱり新聞記者でやんす。しゃあんめえ。くっくっく・・・・つれえなあ」


6月27日付の「北海タイムス」に、雨情さんは「噫(ああ)独歩氏逝く」という記事を書いています。雨情さんが北海タイムスの正式な記者だったかの記録は、現在の北海道新聞社には残っていないようですが、雨情さんは9月まで札幌に通っていたようであります。



投稿者 tuesday : 2008年11月30日


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