古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(110) 啄木さん、哀しみの大晦日とお正月!

啄木さんは、小樽日報社を辞めたことを内心では何度も何度も後悔していたに違いありません。行き掛かり上、小林寅吉なる男と口論になり、殴られた弾みで「辞めてやる!」と言ってしまったのでしょう。家でじっとしていると、後悔の念は深まるばかりだったのではないでしょうか?啄木さんは日記にこう書いています。


<来らずてもよかるべき大晦日は遂に来たれり。(中略)夜となれり、妻は唯一筋残れる帯を典じて一円五十銭を得来たれり。母と予の衣二、三点を以て三円を借る。之を少しずつ頒かちて掛取を帰すなり。さながら犬の子を集めてパンをやるに似たり。かくて十一時を過ぎて漸く債鬼の足を絶つ。遠く夜鷹そばの売声をきく。多事を極めたる明治四十年は「そばえそば」の売声と共に尽きて、明治四十一年は刻一刻に迫り来れり。丁末日誌終>


いやはや、何度も申し上げますが、哀しくて、実にひもじいですな。啄木さん本人よりも、奥さんやお母さん、そして幼い子が、可哀想であります。啄木さんには、どういう訳か、このようなひもじい貧しさがくっ付いていて、離れないイメージがあります。小生意気で人一倍プライドが高いイガクリ頭の二十歳前半の若造啄木さんは、北の果て北海道は小樽で、こんな侘びしい大晦日を過ごしていたのであります。啄木さんは亡くなってから天才詩人として有名になりましたが、こんな生活をしていたのですな。


啄木さん宅のお正月は、しんしんと冷え込むお正月でした。飾りのない薄暗い狭い部屋で一家が火鉢に寄り添って、腹を空かせながらじっとして、何も祝うことがなく、し~んとして物悲しいものでありました。


火鉢にかけた薬缶から、昇る湯気が低い天井まで届かずに元気なく、寒い部屋の冷気に消されています。


「わたすたちは、どうすて、こげん不幸になったのかのう?」


啄木さんのお母さんは、火鉢の炭が赤く燃えないのも、自分たちの所為だとでも言いたげに、か細い声で言いました。


「はっ、はっ、はっ!母さん、そのうち、僕は世間を驚かしてやろうと、思って…おり…ます…」


啄木さんは、部屋の空気と同じく冷たく滞った自分たちの非情な運命を感じ、それを笑って消そうとしたのですが、続かず、語尾が途絶えてしまいました。




投稿者 tuesday : 2009年04月14日


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