古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(111) ひっそりした啄木さん宅に訪問者!


明治41年1月中旬、ひっそりとしていた啄木さんの家に、一人の男が訪ねてきました。
「おばんでやんす。おばんでやんす。啄木さん、ご在宅ですがぁ?」
その男の身なりは、垢で薄汚れており、髭も生え放題で、まるで乞食でありました。
「おばんでやんす。啄木さぁん、啄木さぁん」
その男は、何度も玄関の戸を叩いておりました。


しばらくすると、家人が出てきました。
「どちら様ですか?」
「わすでやんす。野口雨情でやんす」


「いやあ、雨情さん、久しぶりですね」
啄木さんが家人に呼ばれて玄関に出てきました。
「しばらぐぶりだっぺ。元気ですが?啄木さんも、あれから大変だっただっぺ。心配しでましたよ」
雨情さんは、啄木さん顔を覗き込むように上目づかいで見詰めながら、言いました。
「はっはっは!僕は、大丈夫です。こんなところでは寒いから、雨情さん、上がって下さいよ」
雨情さんは、何度も会釈をして
「失礼しで、上がらしでもれえます」
と言って、啄木さんに導かれるように居間の方に入って行きました。


狭い居間には、火鉢を囲むようにして、啄木さんの子供さんを抱っこした奥さんと背中を丸くしたお母さんがいました。
「雨情さんです」
と啄木さんが紹介すると、奥さんとお母さんは、額が畳に着くほど程にお辞儀をした後、火鉢から離れて部屋の隅に後ずさりするように下がりました。
「今日は冷えるでやんすね。こぢらの人が言うしばれるどは、今日のような寒さを言うのだっぺ」
雨情さんは、そう言いながら火鉢のそばに座りました。


「私は、いろいろありましたけど、ようやく落ち着きましたよ。はっはっは」
啄木さんのいつもの強がりだということが雨情さんには分かったようでした。
「そうでやんすか。心配しでましたよ。ひでえ連中でしたっぺ」
雨情さんは、自分と同じ目に遭った啄木さんを同情するような表情で、首を何度も縦に振って相槌を打っていましたが、雨情さんの脳裏には、自分をひどい目にあわせた連中には啄木さんも含まれて、強く残っていました。
「僕は、へっちゃらです。あんな連中には負けません。はっはっは。雨情さんも、あれから大変だったでしょう?雨情さんは、今どうしておられるのですか?」
啄木さんは自分の心の中を見られまいとして、雨情さんの話題にしようとしていました。
「このまま、北海道にいても、人生がえがぐ変わるどは思えねえ。それで、東京さ帰っぺがと思って、東京にいる友人や坪内逍遥先生に手紙を書いて出しで来たどごろでやんす」
雨情さんは、東京へ帰るしかないと思いつつ、決心がつかない感じで迷っていたのでした。
「そうですか?東京へ帰るのですか?」
啄木さんも、このままでは自分の人生は変わらないと思い、雨情さんが東京へ行くのなら、自分も行くべきではないかと、ふと思いました。
「いや、まだ決めでいねえんです。どうしたらよいものがとちっと迷っているでやんす。この北海道には、大きなチャンスが何処かにあるような気がするでやんす・・・」
雨情さんは、懐から煙草を取り出すと、火鉢で火を点け、煙そうに眼を細めながら、煙草を吸い込みました。
「そうですよね。この北海道には、何かあるような気が僕もするのです。それで僕は、編集長の沢田さんと白石社長のご厚意で、白石社長が経営する釧路新聞に勤務することになりそうです。編集長格にしていただけるというのですが・・・・」
雨情さんは、それを聞いて、
「編集長格?それは、よがった、よがった」
と首を何度も縦に振って言いました。


啄木さんは、この四日後にお母さんと妻子を残して、釧路に単身赴任したのでした。



投稿者 tuesday : 2009年04月26日


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