古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(113) 啄木さんが過ごす「釧路の夜」♪

啄木さんは、明治41年1月19日に小樽を立ち、岩見沢、旭川にそれぞれ宿泊をして、21日早朝に旭川を出発し、午後三時半に帯広を通過し、釧路に着いたのは、午後九時半でありました。当時は小樽から石狩十勝の山々や原野を越えて釧路まで二日間もかかったのでありますな、北海道は実に遠いのでありますな。真冬の雪の中を二日間も汽車に揺られて、啄木さんは何を思っていたのでありましょう。


忘れ来し煙草を思ふ
ゆけどゆけど
山なほ遠き雪の野の汽車


うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照せり


水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色


白石社長は旭川からまた同乗して、二人の汽車の旅が続いたのであります。この小樽日報の白石社長という人は、もともと北海道庁の役人で釧路支庁長を務めた人でありまして、明治33年に初代の釧路町長、明治35年に釧路新聞社長、明治37年に道会議員、そして北海道議会の議長となり、この明治41年に行われる衆議院議員選挙では当選することになるのであります。


伴なりしかの代議士の
口あける青き寝顔を
かなしと思ひき


啄木さんと白石社長は、釧路に到着すると、迎えにきていた釧路新聞の人たちと停車場から重い行李を担いで歩き、ヌサマイ橋(幣舞橋)を渡ったようであります。釧路は霧の街とも云われています。ヌサマイ橋を渡っていた時は霧が出ていたのでありましょうか?ヌサマイ橋といえば、昭和歌謡研究家のもりちゃんはピピピィ~ンと来ますな。あの美川憲一が、まだ男姿でスーツを着て唄っていた頃のヒット作「釧路の夜」(作詞・作曲:宇佐英雄、編曲:井上忠也、クラウン、昭和43年)であります。昭和歌謡ファンならご存知ですな?「♪貴方の~♪つめ~たい~♪そ~のひ~と~み~♪」であります。霧のヌサマイ橋は三番の歌詞に出てきます。


<♪霧は~♪降る降る~♪今日も又♪
♪一人歩きの~♪ヌサマイ橋よ~♪>


この歌は最後のところが、低音から高音に一挙に上がるのが、特徴ですな。「♪女心も~♪知~らないで~♪」の「女心」の「女」は低い「ミファミ」でありまして、「♪貴方が~にく~い~♪貴方が~ぁ~♪にく~い~♪>の二回目の「♪貴方が~ぁ~♪」の「ぁ~」のところは、2オクターブ上の「ミ」であります。カラオケファン泣かせの歌であることは間違いありませんが、裏声を上手く使えれば唄えます。もりちゃんがレパートリーにしている歌のひとつでございます。


現在、ヌサマイ橋のたもとに「釧路の夜」の歌碑があります。作詞・作曲をした宇佐英雄は、釧路の出身の流しだったそうでありまして、流れ流れて伊豆の温泉地長岡まで流れ、「長岡ブルース」という歌を作って流しで唄い続け、それから岐阜の風俗街柳ケ瀬まで流れて行き、たまたま美川憲一担当のクラウンレコードのディレクターが岐阜県出身で柳ケ瀬で飲んでいる時に宇佐の唄う「長岡ブルース」を聴いて、「これだ!」と思い、「柳ケ瀬ブルース」(作詞・作曲:宇佐英雄、編曲:小杉仁三、クラウン、昭和41年)に曲名を変えてレコーディングしたところ、120万枚の大ヒットとなったという秘話があります。


おっとっと、話がヌサマイ橋から、逸れてしまいました。啄木さんは、その夜は釧路新聞の人の家で釧路町長をはじめ議員の方々に歓待を受けたようでございます。啄木さんが、床に就いたのは午前1時を過ぎていました。啄木さん、長旅、お疲れ様でした。



投稿者 tuesday : 2009年06月21日


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