古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(117) 『襟裳岬』を眺める啄木さん!

<朝、鎌田君から十五円来た。新聞を抜いて出帆広告を見ると、安田扱ひの酒田川丸本日六時出帆――函館新潟行――とある。自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう”“さうだ、函館へ行かう”>(4月2日)


啄木さんは、彼の才能を高く買ってくれていた白石社長に不義理をして釧路新聞社を3月20日から欠勤し、鬱病状態で寝込んでいました。彼は、この日の新聞広告を見て、荷物をまとめ、翌日に乗船して函館に向かいます。散々飲み食いして溜めに溜めた飲食費の付けを踏み倒したことは、いつものとおりであります。


「ああ、気持ちがいいなあ!」
啄木さんは、甲板の上で、大きく手を広げて、新鮮な春の空気を一杯に吸っていました。
「あっ!鯨だ!」
啄木さんは十勝国大津港沖で、波間に潮を吹く巨鯨を目撃します。
啄木さんの心は、青い空と広い海原とそこに生きる鯨の姿を眺めていると、すっかり晴れ渡っていたのであります。鬱病とは、そのようなものなのでしょうか?それとも、啄木さんの生まれながらの性格ゆえでありましょうか?啄木さんは、この自然の眺めから、自分のこれからの人生に希望が湧いていたに違いありません。でも、その希望には何の保証もないのでありますが・・・・・。


<風、波が甲板を洗わむとする。夕刻漸く凪いで、襟裳岬の燈台が光り出した。船も燈火を提げた。>
(4月5日)


襟裳岬と言えば、昭和歌謡ファンは思い出します。♪えりぃ~ものぉ~春は~♪何も~な~い春ですぅ~♪そうです!森進一が、昭和49年にレコード大賞を取った『襟裳岬』(作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、ビクター、昭和49年1月発売)であります。この曲は、実はB面でありまして大ヒットした曲であります。ビクターの創立50周年とビクター音楽産業1周年を記念して、森進一にフォーク系作家を起用しようと企画されたもので、当時所属していた渡辺プロダクションの渡辺晋社長が猛反対したという逸話がある曲であります。


襟裳岬といえば、森進一ばかりでないことは、昭和歌謡ファンは分かっておられると思います。♪風は~、ひゅる~ひゅる~♪波はざんぶりこぉ~♪そうです!島倉千代子の『襟裳岬』(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実、コロムビア、昭和36年)であります。もりちゃんは、どちらかと言えば、こちらの『襟裳岬』が好きですな。襟裳岬に行くと、森進一の『襟裳岬』の歌碑(昭和46年建立)と島倉千代子の『襟裳岬』の歌碑(平成9年建立)が並んでいます。


<起きて見れば、雨が波のしぶきと共に甲板を洗うて居る。灰色の濃霧が眼界を閉ちて、海は灰色の波を挙げて居る。船は灰色の波にもまれて、木の葉の如く太平洋の中に漂うて居る。>(4月6日)


啄木さんの前途を暗示しているかのような天候でありますな。



投稿者 tuesday : 2009年10月31日


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