啄木さんは、久し振りに家に帰ると、母のカツさんと妻節子さん、そして言葉を覚えたばかりの長女京子ちゃんに出迎えられたのであります。啄木さんは安堵して心温まる感じがしていました。茶の間に落ち着くと、啄木さんの廻りを京子ちゃんが廻らぬ舌で喋りながら歩き回りました。啄木さんは、京子ちゃんを眺めながら笑みを浮かべていました。
「さっき、駅で野口さんと会ったよ。また、午後に会う約束をしたんだが・・・」
「あらっ、野口さんはどうしておられるのかしら?」
節子さんは、お茶を入れながら、あまり関心がないような素振りで言いました。
「汚い冴えない格好をしていたなあ。田舎乞食か、浮浪者かって感じだったよ」
啄木さんは笑いながら言いました。
「奥さんも、子供さんもおられるのでしょう?」
「ああ、小樽に一緒に住んでいる筈だよ。引っ越しを手伝ってあげたんだから・・・」
啄木さんは、そう言って節子さんを見ると、節子さんは、
「京子ちゃん!そんなにお父様の廻りを歩き回らないの!」
と叱りました。
「京子!大きくなったな!」
啄木さんは、京子ちゃんを抱き上げようとしましたが、
「いやっ!」
と言って、京ちゃんは後退りをしました。それを見て、節子さんは、
「京子ちゃん、お父様に、ようく抱っこしてもらいなさい」
と言いました。
「京子!お父さんだよ!」
啄木さんは、京子ちゃんに手を差し伸べました。
「いやっ!」
啄木さんは、寂しい感じがしましたが、笑うしかありませんでした。
啄木さんは、それからカツさんと節子さんに東京行きの話をした後、二人が函館で宮崎郁雨さんに世話になることを説明しました。その話を聞いた二人は複雑な気持ちだったに違いありません。突然帰って来たかと思えば、一人で東京へ行くと言う、そして二人は函館で宮崎郁雨さんの世話になれと言う。特に妻の節子さんの不安な心境は如何許りだったでありましょう?啄木さんの話を聞いた途端に、家族の雰囲気は重く暗くなったのではないでしょうか?啄木さんは、二人に話を終えてから、早々に昼食を済ませ、その重苦しくて暗い雰囲気から逃げるようにして雨情さんの家に向かったと思われます。
投稿者 tuesday : 2010年03月21日 |