古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(129) 雨情さん曰く、「わすは生きているでやんす!」


「ちっと待ってぐだせえ!」
誰かの声がします。かなり遠いところから、声が聞こえてきます。それも、茨城弁で喋っている声であります。


「ちっと待ってぐだせえ。誰が死んだって?」
「北海道の新聞社にいた野口さんですよ!」
「ええ、わすは北海道の新聞社で働いているでやんす」
「その野口雨情さんが亡くなったんです」
「えっ?わすが死んだ?そ、そうたごどはねえよ。わすは、ぴんぴんとしで生きでいるだっぺ」
「雨情さんは、北海タイムスに居られましたよね?」
「ああ、北海タイムスにいたでやんすよ」
「じゃあ、野口雨情さんは亡くなったんです」
「ちっと、待ってぐだせえ。わすは、こうやって生きでいるんだっぺ。死んでいねえでやんす」
「『野口雨情氏、客死す』と大きく読売新聞に報道されたんです!」
「げげっ!そんな!わすは新聞の記事は書いたが、自分が新聞の記事としで載ったのは、生まれで初めででやんす!」
「雨情さんは、北海タイムスで広告部長をされていたんですよね?」
「わすは、広告取りではねえよ、記者でやんす!」
「新聞には、広告部長の野口氏と書かれていましたよ」
「わすは、記者でやんす!」
「何か変ですね?」
「変だっぺ!あっ!そういえば、広告部の部長に野口という爺さんげえだね(がいたね)。偉い人だがら、話をしたごどはねえげど・・・」


啄木さんの9月22日の日記を読むと、こう書いてあります。


<何かは知らず心安からぬ日であつた、何すともなく心はフラフラと落つかぬ。二時までに野口君の追悼文“悲しき思出”と題して九枚許り書くと、人見君から葉書――“やうやく今朝にいたり返電まゐり候。氏(野口)は先日室蘭(?)新聞社に転任致し、健在の由、察する所何かの誤聞かと存候”云々。
<ペンを投じて、うなつた。野口君は生きてゐるのだ。誤伝も事によりけりで、これは奇抜も通り越した話だ。それにしても先づ先づ安心。夜人見君へ手紙出した。今日の読売には“新天地”一号に野口君の追悼録が出るとさへ“よみうり抄”に出てゐた。>(22日)


明治41年9月19日の読売新聞に「野口雨情氏、客死す!」と掲載されたのは、実は誤報だったのであります。当時、北海タイムスの広告部長に野口某氏という人がいて亡くなったので、読売新聞はその人を野口雨情と勘違いしてしまったのですな。新聞社の誤報とは、影響力が大きく、相当人騒がせであります。東京では雨情さんを知る坪内逍遥大先生や早稲田の文人たち、それに与謝野先生ご夫妻など、皆さん、すごく落胆しておられたのです。まあ、とにかく雨情さんは北の地で生きていたのであります。ホントに「やれやれ、雨情さん・・・」って感じですなあ?!


「お騒がせしで、申し訳ねえです。んだげんど、わすが、悪いわげではなかっぺ!」




投稿者 tuesday : 2010年10月31日


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