古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(132) 雨情さんのつぶやき:大地震と大津波、怖かったでやんす!!

いやはや、この間の地震は、すごぐ怖かったっぺ!揺れも激しがったげんど、津波が恐ろしがったなあ!


岩手、宮城、福島もすごぐ被害が出て、沢山の人が死んだり、行方不明になっているげんども、わすの故郷の茨城県も被害が出ているでやんす。わすの北茨城の磯原にある実家も、津波が押し寄せで一階が、わすの背の高さくれえまで海水に浸かっちまって、わすが若い時に書いた詩や文章、そして人からもらった手紙が、行李さ入れであったんだげんども、水浸しで、ヨレヨレになっちまったでやんす。


わすは、こんな大きな被害が出た地震と津波は、経験しでいねえ。大正12年9月の関東大震災のとぎは、前日の8月31日に、わすは中山晋平と歌手の佐藤千夜子と一緒に汽車さ乗っかって新潟の佐渡さ向かっていだでやんす。2日に佐渡に着いたどぎに、震災を知って、アッパトッパして東京さ戻っぺどしたのだげんど、汽車が普通で帰れなっかだなあ。だがら、わすは関東大震災の揺れを知んねえでやんすよ。


津波と言えば、昔に大きな津波がふだづあったなあ。ひどづは、確かわすが東京の中学校さ行く前の年、明治29年(1896年)の6月に三陸沖で起こった明治三陸地震というのがあった。わすの北茨城の磯原の実家は、殆ど揺れながったげんど、三陸には今回のような大きな津波が来たんだ。津波が陸を襲い、這い上がって、地上の奥に押し寄せだ勢いを最高遡上高で表すのだげんど、このどぎの最高遡上高が38.2mもあったらしぐ、死者と不明者を合わせるど、約2万名も出た大きな津波だったらしかっぺ。だげど、わすの実家のある北茨城は、津波の被害は殆ど無かったでやんす。


ふだづめは、昭和8年(1933年)のお雛祭りの日の未明だっただっぺが。わすが、作曲家の藤井清水らど一緒に「日本歌謡協会」を設立したどぎだっだなあ。昭和三陸地震と呼ばれでいる地震でやんす。この地震は、三陸で震度5と言われでいで、東京でも揺れを感じだように思う。このどぎも三陸に大きな津波が来たそうで、最高遡上高は海抜28.5mで、死者と不明者を合わせるど3000名くれえだったんだど。この津波でも、わすの実家のある北茨城は、津波の被害は殆ど無かったのに、今回の津波には、おったまげたでやんす。


そういえば、今回の地震と津波で、わすの尊敬する岡倉天心先生が作った五浦にある六角堂が、津波にさらわれで、土台だげを残しで海に消えっちまった。あの六角堂は、明治三陸地震があった後の明治38年(1905年)に、天心先生が法隆寺の夢殿を模しで建てだものだ。天心先生の友人で国際平和を願ったノーベル賞受賞者のインドのタゴールさんも、天心先生が亡くなった後にこの六角堂に訪れで黙想し、こんな詩を残しでる。


<私がこの波に耳傾けるとき
 この浜辺にて夕暮れに
 抱かれし偉大な御考を偲びます
 お声がわが胸の中に徘徊します >


天心先生やタゴールさんが、太平洋の波の音を聴きながら瞑想に耽った六角堂は、大津波の直撃を受けで流失しっちまった。ああ、残念至極でよぐよぐ悲しい。


それと今回の大地震は、大津波の被害だげでなく、やっけえな事態ももだらした。原子力の怖さ、放射能の恐ろしさだ!わすは、福島県のいわぎ湯本にある芸者置屋で居候をしでいだごどがあるので、福島さは思い入れがあるでやんす。


今回の大地震は、自然に対する人間の無力さをまざまざど見せづげだ。わすは、新民謡を「民族生活の情緒をつだふ唯一の郷土詩であり、土の自然詩である」と思って創作しでぎだ。わすは、自然が好きだ、大好きだ。人間は自然ん中で生活しでる。自分の住んでいる所の自然を感じで生きでいぐごどが大切だど思ってる。その自然が、今回のような大災害をもだらす。わすが思う自然は、おっかない面も持っているんだな、それを今回は思い知った・・・。これを畏敬というのだな。自然への畏敬を忘れではいけないのでやんす。


んだっぺ。わすが作った「枯れすすぎ」、中山晋平が曲を付けでぐれで、「船頭小唄」となって流行った唄があるげんど、文豪の幸田露伴先生に「あんな寂しぐで、悲しい、厭世的な『船頭小唄』が流行るがら、関東大震災に見舞われだのだ」と言われっちまった。幸田先生がそう言われだ後に、「災害が発生したのは、世ん中が堕落し、人々が浮かれすぎだがらだ。天がこれをこらしめるだめに、地震が起ったのだ」という意見をいう人が増えた。あの詩は、わすが人生のどん底のとぎに利根川を見ながら作ったもので、そう言われで、ショックでやんした。今回の大地震があった直後に、どごかの知事さんが、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまぐ利用しで我欲を1回洗いおっこどす必要がある。やっぱり天罰だど思う」と仰ったでやんすが、90年前とまったぐ同じだっぺ。


とがくに、偉い先生方は、そうたごどを言いますが、そう言っているあなだも、この世ん中を作っている一人でやんす。どうも高いとごろに目線があるのですな。まるで自分が神様でもあるがみだぐ世ん中を見ているような発言だど思う。偉そうにそう言っても、あのおっかない自然には勝てねえんです。お高い目線で言うよりも、自然への畏敬と被害に遭われだ人々の深い悲しみを感じるごどがよぐよぐ大切だど思う。


あれは宮城県の南三陸町だっただっぺが?津波が来たどぎに、防災放送で町民に高台への避難を呼ばりがけ続け、自らが行方不明になっちまった同町の職員の若い女性がおられました。わすは、個人的には、高い目線の知事さんよりも、この女性の方が人に尽し、多くの人を救っただどいう点で、神様に近い尊敬の念を抱きます。


政治家や電力会社の経営者などは、よぐよぐ自分のこどだけをを考え過ぎでいるのではねえが?わすは彼女のこどを思うど、涙が止まらなぐなる。わすは、心から彼女を尊敬するでやんす。無心で威張らず、人のために一生懸命に尽す心、そういう心を沢山の人が持つごどができれば、この国も良い国になっぺ。



投稿者 tuesday : 2011年05月05日


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