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「波浮の港」は、オペラなの? 藤原義江物語③

もりちゃんも、気が付くといつの間にか、人生半ばに達し、改めてつくづく思うのですが、人というものは見掛けでは分かりませんし、見掛けで判断してはいけませんな。人の性格や癖は、生まれ育った環境が影響するのは勿論でありますが、やはり遺伝というものには争えませんな。遺伝とは不思議なものでありますな。人間、幸か不幸か、歳を取れば取るほど親に似てくる、それも似なくても良いと思うところが似てくるのでありますな。


藤原義江さんは、年譜などを見る限りにおきましては、日本にオペラを根付かせた第一人者であります。認知をしてくれなかったイギリス人のお父さんから資金援助をしてもらったというラッキーな面があったとは言え、3年に亘ってイタリア、イギリス、アメリカを回って歌手としての経験を積み、欧米にも「われらのテナー」として藤原義江の名を轟かせたのであり、日本人で赤盤のレコードを出せた数少ない歌手であります。この「波浮の港」も赤盤でアメリカで吹き込んでいるのでありますな。昭和9年(1934年)には「藤原歌劇団」を結成し、昭和27年(1952年)には、ニューヨークにて「蝶々夫人」を上演して好評を得、日本オペラの土台を築いた人で、実に立派な方であります。


ところが、この人の行く処、女性問題が尽きなかったと言うではありませんか!恋愛多き男であったようですな。これは、イギリス人のお父さん譲りの色男であったのでしょうかな?呆れる程の女性遍歴を重ねた生涯をお送りになったとか。フーテンの寅さんとは、違いますな。単なる片思いではありません。とにかく何処へ行ってもすぐ女性と関係を結んでしまう、というのは、やはり遺伝でありましょうか?単にお金があればということではなく、タフであればということでもなく、マメであればいうだけではなく、これは天性でありましょうか!もりちゃんとしては、羨ましさを通り越して、圧倒されてしまいますな。遺伝・天性とは凄いものですな。




投稿者 tuesday : 2006年04月15日


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