古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(135) 夢遠のいて郷里へ帰る雨情さん!

雨情さんにとって母親の死と失業のダブルパンチは、かなり堪(こた)えたのでしょうな。雨情さんの心の中にあった「東京で詩人として名を成す」という夢は、萎みながら何処か遥か彼方に消えてしまいそうでした。彼は仕方なく、東京の自宅を引き払って、妻のヒロさんと子供を連れて、郷里の北茨城の磯原に帰ったのであります。北茨城に向かう汽車の中で、雨情さんは飛ぶように過ぎ去っていく景色を眺めながら、自分のこれまでの放浪の旅に別れを告げていたかもしれません。時は丁度、明治が終わろうとしている時(明治44年秋)で、雨情さんは30歳になる直前でした。


夢を失いかけた人間は、弱い者ですなあ。夢を失いかけて、冴えなく、故郷に帰る雨情さん。この時の雨情さんの心境を想像していたら、もりちゃんの頭の中で、昭和歌謡あるメロディが流れてきました。それは、三橋美智也さんが唄った『星屑の街』(作詞:東条寿三郎、作曲:安部芳明、キングレコード、昭和37年発売)であります。


♪両手を~♪まわ~し~て~♪
♪帰ろう~♪揺れな~が~ら~♪
♪涙の~中を~♪たったひと~り~で~♪
♪やさしか~った~♪夢には~ぐれ~ず~♪
♪まぶたを~♪とじ~て~♪
♪帰ろう~♪まだとお~い~♪
♪赤~い~♪ともし~び~♪


西部劇風のメロディーが印象に残る名曲であります。さすらい風的な曲でありますなあ。「両手をまわして」とはどういうことなのか?誰かに手を振って別れようとしているのか?ここで、もりちゃんのウンチクであります。少し難解な詞でありますが、「両手を回して帰ろう」とは、別れに手を振って帰るというのではありません。これは、「汽車に乗って帰る」という意味なのであります。子供が機関車の真似をするとき、両腕を直角に曲げて、シュッポ、シュッポとやるではないですか、あれのことです。雨情さんが汽車に揺られて故郷に帰る情景と重なる歌であります。


「わすは、田舎さ帰って、何をすれべえいのだっぺが・・・?」


年が明けて明治45年、雨情さんは実家で何もしないでボケ~っとしていたようでありますな。彼の実家の向かいに同級生の渡辺年之助さんという人が住んでいました。雨情さんはヒマで何もすることがなく、ちょくちょく年之助さんの家に顔を出していたようであります。年之助さんには留守の間にいろいろと実家の面倒を見てくれていたというので、雨情さんは御礼にある品物を贈っています。まだ寒い2月頃のお話です。


「年ちゃん、いろいろど世話になったなあ。わすは、もうどごさも行かずに、磯原にいるごどにする。お礼の印としで、わすのうぢのごのお茶碗を年ちゃんにあげるよ。これからも年ちゃんには、お世話になるど思うので、よろしぐお願いするっぺ」


雨情さんは、そう言って、風呂敷包みをほどくと、木箱からお茶碗をゆっくりと取り出しました。雨情さんのしぐさをじっと眺めていた年之助さんは、そのお茶碗を見て思わず、
「こっ、これは、あっ、あの野口家ゆかりのお宝では・・・?」
とびっくりした表情で言いました。


年之助さんが驚いたのもあたりまえで、雨情さんが年之助さんに贈ろうとしたお茶碗は、昔々の江戸時代に野口家が水戸黄門で有名な水戸光圀公から下賜されたものであります。雨情さんは、そういう由緒ある名家に育ったお坊ちゃまであったのでありますな。「控えおれ~」という風に額を畳に着かんばかりに額づいている年之助さんに雨情さんは言いました。


「年ちゃん、この茶碗はなあ、笠間焼だっぺ。このぢっと黄味がかった渋い色が落ち着いてよかっぺ?聴いておったまげるながれ、幕末の有名人であった長州の吉田松陰先生が、この茶碗で酒を飲んだども言われでいるんだよ。松陰先生は、この磯原さにも来ているんでやんす」


雨情さんは、そのお茶碗を眺めながら、水戸黄門様からお茶碗をもらったという由緒ある名家野口家の子孫で、しかもその何代目かの嫡男である自分が、名を成さずに何もできない情けない者であるという無力感を感じていたのでありました。


「この茶碗は、自分とは何の関係もねえ物みだぐ思えっちまう。先祖代々が大切にしでぎだがもしんねえが、自分には関係ねえなあ。おらにはもったいねえ。何さも出来ていねえ自分には、もったいねえよ。野口家のために尽しでぐれだ人が持つのがふさわしいと思うっぺ」


雨情さんは自分が野口家に生まれてきたことの因果を問うていました。雨情さんの心は、野口家の伝統とは繋がっていなかったのですな。これから自分はどう生きていくのか、当てが全然なかった雨情さんなのであります。


「やはり、わすは、代々先祖が継いできだ野口家を継いでいくしがないのが・・・?」




投稿者 tuesday : 2012年05月04日


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