雨情さんにとって、啄木さんの訃報は、かなりの衝撃だったのであります。雨情さんは、前屈みになって新聞の上についていた手を新聞から離して、顔の涙をその手で拭きながら、硝子戸の向こうの春の陽射しに眼を遣りました。そして、深いため息をつきながら、瞼を閉じました。
「啄木さんよ!お前さんは、我儘な人だったでやんす。じっと仕事をしで暮らしでいぐ人間ではなかったっぺ。まどもには社会では生きでいげねえ性格だった・・・。わすもお前さんのこどをそんな風に偉っそうに言えねえげんど、啄木さん、お前さんはそんな人だったっぺ。そんなお前さんだったがら、お前さんの書く詩は、どごか悲しい詩でもジメジメした詩ではなくで、サラリとしでっけど、短い詩ん中に思いがげねえ言葉があったりしで、味ええ深いものどなっていだ。啄木さんは、わすには真似できねえ詩心を持っていたっぺ。」
雨情さんは、瞼を閉じた儘、北海道小樽時代の啄木さんと過ごした日々を思い出していました。雑魚寝をしながら、夜通しお互いが夢を語り、お互いの過去を知らないので、内心ホラを吹いても分からないという共通の暗黙を前提に頷いて見せて、分かり合った気分に浸っていたあの時間。あの時のことが、つい最近のようにリアルに雨情さんの瞼に浮かんでいたのであります。
その一方で、雨情さんの心には、小樽日報の職場で、啄木さんに誤解を与えてしまい、啄木さんが自分を叱責罵倒し、自分は口下手でのろい性格ゆえ言い訳ができずただただ床に頭をつけて土下座をしたという傷の痛みが再び振り返したように疼いていました。雨情さんは、啄木さんとの付き合いはいろいろあったけれど、常に啄木さんには無限の可能性を秘めた血がドクドクと流れていたことを改めて感じていました。
「啄木さんは、最近、何かを掴みがけていだような気がするでやんすが、きっと長年探し求めでいだ鉱脈をついに探し当てだのんではなかっぺが?」
雨情さんは、啄木さんがここ2~3年間に新聞などで発表していた文章をしっかり読んでいたと思われます。やはり、雨情さんは啄木さんの活動が気になっていたのでありましょう。啄木さんは、詩の存在理由について「食ふべき詩」という新聞連載記事で論じていました。
「啄木さんは、詩を漬物だと言っていだでやんす!」
啄木さんの言う「食ふべき詩」の意味は、「珍味乃至は御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物の如く、然く我々に『必要』な詩といふ事である」であったことを、雨情さんは思い出しておりました。
「啄木さんは、まず詩人は人でねえどいげねえども言っていだでやんす。自分の心に生じだ刻々の変化を飾らず偽らずに正直に表現しなげれべえげねえども言っていたっぺ。啄木さんのそれまでの人生では、嘘ばがりづいで人に迷惑をかげで生きで来たのに、彼の心は、いつも正直だったのだな。そのごどを啄木さんは言いたがったんでやんすよ。」
雨情さんの閉じた瞼からは、涙が溢れ、頬を伝って流れていました。雨情さんは詩人としての仲間である啄木さんの気持ちが手に取るように分かっていたのでありますな。雨情さんも、故郷に戻って地元の人たちとの付き合いから、詩を創作することが少なくなっていたのですが、「きっと、いつがは、有名な詩人になってやっと!」という気持ちは棄てていなかったのであります。
「啄木さんは、こうも書いていたっぺ。一生さ二度とは帰ってごねえ命の一秒というのがある。啄木さんは、その一秒が惜しい、愛おしいど。啄木さんは、それを逃したぐねえどいう気持ちが強い詩人だったんだ。それを現すには、形がちっけい、手間暇世話が焼けんねえ詩歌が一番便利と説いていたっぺ。そのどおりだな。啄木さんは、ようやぐ掴みがけでいだんでやんす!」
雨情さんは、自分の書きたい詩とはジャンルが違うことを認識していましたが、啄木さんのこの主張にはいたく同感していたに違いありません。雨情さんは、啄木さんのドクドクと流れていた血が、そのことを伝えていたように思えてきたのであります。雨情さんにとって、啄木さんは、詩を創作することの研ぎ澄まされた一瞬一瞬の感覚・感性が極めて大事であることを教えてくれた存在だったのでありますな。このことを雨情さんはずっと胸の内に閉まって、人には明かさなかったのであります。もりちゃんは、そう推測しております。
そう言えば、雨情さんの詩は、後に音楽に載って、童謡や新民謡、そして歌謡曲に発展しましたが、啄木さんの詩は、残念ながら実現しませんでした。でも、実は、啄木さんの詩の魂が、歌謡曲のメロディーに載って、日本だけでなくアジアに流れていたのでありますよ。それは、この歌でございます。
♪目を閉じて 何も見えず~♪
♪哀しくて目を開け~れば~♪
♪荒野に向かう道より♪
♪他に見えるものは~なし~♪
♪あ~あ~♪ 砕け散る~♪ 宿命の~星たちよ~♪
♪せめて~密やかに~♪ この身を~♪ 照ら~せよ~♪
♪我は~行く~♪ 蒼白き~頬のままで~♪
♪我は~行く~♪ さらば~♪ 昴~よ~♪
そうでありますな、谷村新司の作詞・作曲による昭和55年のミリオンセラー『昴』でありますな。この詩は、啄木さんの死後に出版された『悲しき玩具』の第二首目の詩から谷村新司がヒントを得たと言われていますな。
<眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし
さびしくも、また、眼をあけるかな>
そして第一首目の詩は二番の歌詞になっておりますので、ご確認あれ!
<呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!>
♪呼吸をすれば胸の中~♪
♪凩は吠き~続~ける♪
てな具合であります。ところで、もう一つ、啄木さんの詩から歌謡曲が生まれているのは、有名ですな。えっ?知らない?啄木さんの『一握の砂』の「我を愛する歌」の中の詩であります。
<いたく錆びしピストル出てぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに>
はいはい、石原裕次郎の『錆びたナイフ』(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六、テイチク、昭和32年)でありますな。「ピストル」と「ジャックナイフ」の違いはありますが・・・。
♪砂山の~砂~を~♪
♪指で~掘って~たら~♪
♪まっ~か~に~♪ 錆~びた~♪
♪ジャックナイフが~♪ 出てきた~よ~♪
今回は、この辺で、お話を終わります。
投稿者 tuesday : 2013年08月25日 |