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「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その③ 大衆の時代

もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」は、「波浮の港」からどういう訳か、ウンチクが深いためか、「大正デモクラシー」を語っています。


大正7年(1918年)11月に第一次世界大戦が終結し、民主主義が世界的に広まったといいます。この情勢を背景に、日本でも東京帝国大学教授であった吉野作造先生(1878~1933年)が「国家の活動の基本的目標は政治上人民に在るべし」と唱える民本主義が大正デモクラシーの理論的支柱となって、普通選挙運動が展開されたということでございますな。


世間がこんなに大騒ぎになっているのに、いつの時代も同じようで、政府は重い腰をなかなか上げようとはしなかったようでありますな。ここで、日本史の質問ですが、大正デモクラシー時代の総理大臣は誰かと聴きますと、皆さん「原敬」をあげますな。原敬が第19代総理大臣の要職にあったのは大正7年(1918年)9月から大正10年(1921年)11月の1133日間でありました。


ちなみに原さんが首相をしているこの間、スペイン風邪と呼ばれた鳥インフルエンザが日本にも上陸し、世界大戦が終わった11月には、関西で大流行し、大正10年までの3年間に発病者は当時の日本の人口が5470万人だったのに対して2380万人、10人に4人が鳥インフルエンザに罹った訳で、死者は39万人にもなったとか。すごく恐ろしい状況でしたのですな。映画「鳥」で鳥の恐ろしさを描いた監督ヒッチコックもびっくりですな。原さんは、総理大臣として普通選挙制度に直接関わったのではなく、皆さん良くご存知の米騒動と鳥インフルエンザ対策に関わったのであった訳ですな。


お話が反れてややこしいのでありますが、あの芝公園での普通選挙運動の大集会があった大正12年(1923年)2月の総理大臣は、第21代加藤友三郎でありました。政府がようやく腰を上げ、官報の号外を出して、衆議院議員選挙法改正法の裁可を報じましたのは、2年後の大正14年(1925年)5月5日でありました。その時の総理大臣は第24代の加藤高明で、衆議院議員選挙法改正法の施行令案が内務省から発表されたのは、大正15年(1926年)1月29日でありました。


いったい総理大臣は何人変わっているのでありましょうか?ひ~、ふ~、み~と数えますと、6人ですよ。へぇ~っ、ぶったまげますな。政治家の政治家による政治家のための政治でありますな。これが大正デモクラシーですか!


こういうこともあってか、もとの話に戻りまして昭和3年(1928年)2月20日に行われた普通選挙の結果は、与党の政友会が過半数を獲れず、野党の民政党が政権を獲りました。大衆の力による大衆時代が日本に訪れたのでありますな。そのような時代の流れの中、4月に「波浮の港」は発売されたのであります。


次回も昭和3年の時代背景について、もりちゃんの「昭和歌謡ウンチク」は続きます。乞うご期待!



投稿者 tuesday : 2006年04月22日


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