古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































メンバーズブログTOPへ > morichan > 「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑮ ぼんやりとした不安


「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑮ ぼんやりとした不安

もりちゃんの「昭和歌謡を語れば」は、前回に昭和3年の暗くて怖い部分を見てきました。さて、今回は、少し昭和3年の文学的・精神的な部分を見ていきたいと思います。これも、昭和歌謡を知るうえで、貴重な知識でありますぞ!もりちゃんは日本近代文学を語ります!


前年の昭和2年の夏、7月24日に、「何か僕の将来に唯ぼんやりした不安」という遺書を残し、芥川龍之介(1892-1927)が致死量の睡眠薬を飲んで東京田端の自宅にて自殺しています。彼は、師匠の夏目漱石(1867-1916)よりもキツイ神経衰弱に悩まされていたらしく、5月にも帝国ホテルで自殺未遂をしておりますな。彼の葬儀には千名を超える参列者があったとか。


明治から大正時代に至るまで作家は神経衰弱に侵されていなければ作家ではなかったのかもしれませんな。佐藤春夫(1892-1964)は大正9年に神経衰弱に罹り帰郷しているし、谷崎潤一郎(1886-1965)も大正元年に神経衰弱が再発したとか、芥川の友人であった宇野浩二(1891-1961)も芥川の亡くなる1ヶ月前(昭和2年6月)に神経衰弱で入院しています。芥川は「宇野の病気でみんな恐慌をきたしているよ。いつ自分達がなるか解からないって」(広津和夫「あの時代―芥川と宇野」)と言っていたとか。でもね、芥川以外は神経衰弱に罹ったけれど、昭和30年代まで生き延びて長生きしてますよ!芥川も、もう少し慎重であればなあ?便乗したつもりが、皆さんはバスから降りていたって訳ですな。


神経衰弱の原因は、いろいろあるようですな。生存競争に勝っていけないとか、女性関係の縺れとか、何のために生まれてきたかとか、病弱からの不安とか、芥川のような「何か僕の将来に唯ぼんやりした不安」とか、いろいろです。おそらく、これは急速な近代化の中における自己との葛藤なのでありましょう!煎じ詰めれば、「自己と他者」の問題ですな。これは、日本近代文学のテーマであります。


この続きは、また次回に!もりちゃんは、昭和歌謡だけでなく、文学論も語れるのだ!へ~っ?



投稿者 tuesday : 2006年05月16日


トラックバック


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kayou.org/cgi/mt/mt-tb.cgi/87

★【 熱意ブログランキング 】★12 NPO・ボランティア にほんブログ村 音楽ブログへ ブログランキング

BS blog Ranking  【ブログ探検隊】人気ランキング