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「波浮の港」が流行した昭和3年とは? その⑲ 情けなや!田中義一首相

もりちゃんは昭和歌謡を語ろうとして、「張作霖爆殺事件」の真相を語っています。こんな事実は教科書には詳しく載っていませんでしたな。これって、教科書検定にひっかかる内容かなあ?


張作霖さんは即死ではなかったようで、自邸に運ばれ、五番目の奥さんに看取られながら事件から四時間半後に亡くなったそうですな。この事件が日本で報道されたのは、それから2週間以上も経った6月22日です。関東軍は二人のアヘン中毒の中国人を雇い、犯人に仕立て、「捕まえて刺殺した」と発表しています。


首相の田中義一は、天皇の側近で元老の西園寺公望さん(1849-1940)に「しっかり調査をすべきだ。いつ天皇に報告するのだ」と問い詰められるんですな。すると首相は「11月10日の京都御所での昭和天皇の即位の礼が済んだら、天皇に報告します」と言うんですが、先延ばしにしてしまいます。


田中義一首相は12月24日に昭和天皇からこの事件の報告を求められ、「犯人は陸軍の者であるようです。犯人が分かれば厳しく罰します」と答えます。ところが、実は関東軍だけの仕業ではなく陸軍大臣、陸軍省や参謀本部も絡んでいたという事実があったために、有耶無耶にして済まそうとしたようですな。


いやはや、この時、既に日本陸軍は得体の知れない組織になっていたのでありますな。陸軍出身の総理大臣でさえも、コントロール不能!あるいはコントロール不能の人をあえて総理大臣にしたのかもしれませんな。権威・権力・名誉を得てしまった人間で構成された組織というものは、こっくりさんのように思わぬ方向に進み、あれまあ、あれまあで、いい加減なことになるのでありますな。これは、現代にも通じる人間の浅はかな性(さが)でございます。ああ情けなや!


ため息と共に、この続きは次回に!



投稿者 tuesday : 2006年05月26日


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