古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(1) 昭和歌謡の故郷は北茨城?

物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、歌謡曲の始まりは何と言っても野口雨情さんと中山晋平さんでありますな。このお二人が、歌謡曲の源を作られたと言っても過言ではありません。(寅さんの叩き売り啖呵風にお二人をご紹介しましたのは、寅さんこと渥美清さんが昭和3年生まれだったので、どうしても寅さんを登場させたかったのです。もりちゃんの気持ち分かってもらえますか?)


もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」も、連載を始めて三十数回、ついに昭和歌謡の源流について語るときがやってまいりました。とにかく、昭和歌謡元年の昭和3年を語り出して、随分と月日を費やしてまいりました。このお二人を語れば、歌謡曲がどのようにして生まれたのかが分かるのであります。このお二人が歌謡曲の礎を作られたからこそ、古賀政男さんも歌謡曲の世界に憧れ、努力して、活躍できたのであります。このお二人を抜きにして歌謡曲を語れないのであります。


さてさて、では、野口雨情さんと中山晋平さんについて、お話をさせていただきましょう!まずは、野口雨情さんですな。この方、偉大な詩人ですが、世に認められたのは四十歳になる少し前でありました。遅咲きの詩人ですな。


野口雨情さんは、明治15年(1882年)5月29日に、茨城県は多賀郡磯原村、今で言えば北茨城市磯原町に生まれました。北茨城市と言えば、野口雨情さんの他にも歌謡曲の世界で有名なお方がいらっしゃいましたな。皆さんご存知ですかな?あの「米米CLUB」のリーダー石井竜也さんであります。北茨城市は、芸術芸能の才人を生み出す町なのでありますかな?もりちゃんは、それを確かめるため、北茨城市を訪れたことがあります。


次回は、北茨城市を訪問したお話をいたしましょう!昭和歌謡を語るには実地調査が必要なのであります。



投稿者 tuesday : 2006年07月17日


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