もりちゃんの「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」は、昭和歌謡元年の昭和3年に起こった出来事を20回にわたり語ってきました。読者の皆様から「まだ昭和3年の話は続くの?長いわね」とか「早く先を語って!」という声が多く寄せられています。そうですなあ。先を急ぎたい気持ちは、もりちゃんも同じなんですが、悪い習性なのか、良い性格なのか、いろいろと語りたくなるのでございます。
さて、昭和3年の出来事も前回で終わり、最初の昭和歌謡「波浮の港」の作者である野口雨情と中山晋平について語ろうという段階に来た処、やはり悪い習性なんでございましょうね、昭和3年で忘れてはならないことを思い出してしまったのです。
これは昭和歌謡の精神の源とでも申しましょうか?歌謡曲の代表的位置を占める演歌がまだ生まれる前、母の胎内に演歌の種が宿されたとき、それが昭和3年であったというお話です。これまで語ってまいりました昭和3年の社会が次第に重苦しく澱んだ様相を呈し始めた中に、後に歌謡曲を飛躍的に発展させた最大の功労者の一人である偉大な作曲家の若き姿があったのでした。その人の名は、皆様ご存知の古賀政男です。
作曲家となる前の古賀政男は、昭和3年に青春時代・大学生時代を過ごしていた訳です。演歌の元祖である名曲「影を慕いて」誕生の秘話が昭和3年にあります。次回を乞うご期待!
投稿者 tuesday : 2006年06月04日 |