古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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昭和3年:偉大な作曲家となる男の青春時代 <古賀政男物語⑤>


前回は、古賀さんがキナ臭くなってきた満州へよく行ったなあ!なんて書きました。キナ臭い処に行きたくなるという人はいますね。イラクへ行きたいという衝動に駆られた人もいますな。当時の満州はどんな感じだったのでしょうね。まだ満州帝国は出来ていない時期ですし、日本人もそれほど多くはいなかったと思うのですが、大陸への想いが日本の青年を駆り立てたのでありましょうか?大陸への想いって、どんなでしょうか?当時の日本人の満州・中国への関心や想いはどうだったのか?興味のあるところですな。


さて、今回は、古賀さんの悲しい恋のお話をさせていただきたいと思います。昭和歌謡の精神的な源、演歌の元祖「影を慕いて」は、その悲しい恋から生まれたというお話です。


古賀さんが満州から帰ると、大学は夏休みに入ります。古賀さん、夏休みに入ると、仙台と蔵王に遊びに行っています。貧しいといいながら、結構旅行に行っているのです。確かに、満州は無銭演奏旅行だったから、金はかかっていないし、この仙台・蔵王旅行も大学の倶楽部仲間の実家(造り酒屋)に泊まったりしているので、あまり金がかかっていないといえばそうなんですけどね。その仲間の実家は裕福な家であったようで、古賀さんは境遇の違いに落胆したようであります。


それに輪をかけるように、その仲間の親から「大学を出てもなかなか就職できないご時世で大変ですね。古賀さんは、大学ご卒業されたら、ご就職はどうなさいますの?」なんて聴かれて、すごく不安になり、この旅は暗い旅になったのであります。


古賀さんは、前にも言いましたように神田すずらん通りにある須賀楽器店が経営する神田駿河台音楽学院でギターとマンドリンの講師で生活費と学費を捻出していたのですが、先生というのは役得でありまして、女性の生徒さんと恋仲になっていたのであります。もりちゃんも昔から先生になりたいと思っているのでありますが、今のところ実現しておりません。古賀さんはその女性から「師弟を越えた関係になりたい」というラブレターをもらい、相思相愛になったのですが、これがまた境遇の違いが邪魔をしてしまうのであります。


さてさて、このお話どうなるのでありましょうか?この続きは次回に!



投稿者 tuesday : 2006年06月17日


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