古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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昭和3年:偉大な作曲家となる男の青春時代 <古賀政男物語⑧>

名曲「影を慕いて」は、いつ曲が出来上がって、いつ発表されたのでしょう?亡くなった中島梅子さんが、古賀さんのマンドリンレッスンの後に、テーブルに置かれた五線譜の「影を慕いて」を見たらしい。古賀さんは、梅子さんとの別れに捧げる曲として作っていたに違いないですな。そうすると、それは昭和3年の秋ということになりますが・・・・・。


「影を慕いて」は佐藤千夜子が明治大学のマンドリン倶楽部の演奏会で歌って、古賀政男が作曲家としてデビューするきっかけとなったと言われています。もりちゃんも、この「聴いて懐かし『昭和歌謡』を語れば」の第5回目「『波浮の港』はオペラなの?佐藤千夜子物語①」にそのように書いておきました。それが通説のように語られてきたからです。確かに古賀さんの「自伝わが心の歌」(展望社)にも次のように書かれています。


<私は演奏会の第三部に特別番組をつけて、『影を慕いて』を歌っていただくことにした。会場は大入り満員だった。明大マンドリンクラブ創設以来のにぎやかさだった。>


ところが、実際は違うようですな。結論から申し上げると、佐藤千夜子さんは明治大学のマンドリン倶楽部の演奏会で「影を慕いて」を歌っていません。えっー!うっそー!佐高信さんの「悲歌・古賀政男の人生とメロディ」(毎日新聞社)にも、そう書いてあるよ。どういうことなの?


古賀さんの自伝を読むと分かるのですが、昭和2年から5年にかけての記述が極めて曖昧で、これは記憶が定かでなかったからなのでしょうか?うまくストーリーを作っているような感じなのですな。あまり穿った読み方をしてはいけないのですが、そういうことなのかな?


佐藤千夜子さんは、明治大学のマンドリン倶楽部の昭和3年秋の定期演奏会に招待され歌ってはいますが、当時の演奏プログラムを調べると、ソプラノ独唱として、第1部で「河原柳」(野口雨情作詞、藤井清水作曲)と「さどおけさ」、第2部で「波浮の港」「須坂小唄」(ともに野口雨情作詞、中山晋平作曲)の4曲を歌い、「影を慕いて」は歌っていません。それと古賀さんは、自伝に会場は日本青年館と書いていますが、実際は明治大学記念館講堂で行われています。これって古賀さんの記憶間違いでしょうかなあ?



投稿者 tuesday : 2006年07月02日


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コメント

 昭和3年から一歩も動かない(?)「もりちゃんブログ」、次々と新事実が現れて面白いですね~。私の実母は昭和3年9月28日生まれです。「影を慕いて」は、その頃に生まれたのでしょうか?興味津々でありますな。

投稿者 YATARO: 2006年07月02日 09:30


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