古賀政男から美空ひばりまで昭和歌謡の名曲を慰問演奏。音楽ボランティアグループ“おもひでチューズデー”


































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童謡、民謡、そして昭和歌謡への流れ(4) 近代日本美術の故郷・北茨城


もりちゃんは、北茨城市の太平洋に面した景観の中で、石井竜也さんを、詩の世界、詩に曲を付けた世界、そして歌謡曲の世界に誘ったのは、野口雨情さんではないかと考えています。それから、石井竜也さんを絵画の世界に惹き込んだのは、北茨城市に関係のある美術家ではないかと考えております。さて、その美術家とは誰でありましょうか?


ちょっと、もりちゃん、大胆な考察ですなあ!そんなに断定的に論を張って大丈夫?「石井竜也と北茨城の風土的芸術性の考察」という初めての石井竜也論ではありますまいか!カールスモーキーさんが知ったら、「そんなことないっぺ!」と茨城弁でお怒りになるよ?カールスモーキーさん、どう思われますか?


さて、話を戻してみるっぺ!大津町の北東に五浦(いづら)というところがありますな。ここは、海の際まで山が迫って断崖絶壁であり、海の青さと岩の白さ、そして山の緑のコントラストが実に鮮やかで、自然の美しさが何とも言えない素晴らしい風光明媚なところでありまして、ここに居を構えていた美術家とその弟子たちがおりました。その美術家の名は、あの有名な岡倉天心さん(1862-1913年)であります。へぇーっ!


天心さんは、明治という西洋化の時代の中で、日本の伝統美術が優れていることを世界に知らしめた人であり、美術家としてだけではなく、東京美術学校の創立など学校や制度を作り、ボストン美術館中国・日本美術部長などを務め、古美術品の保存や日本画改革運動に力を注ぎ、日本美術を広める運動家としても、近代日本美術の発展に多大な功績を残した偉大な人であります。


天心さんは、明治36年(1903年)に五浦(いづら)を訪れ、太平洋の広い海に臨むこの景勝地がすっかり気に入ると、土地と家屋をすぐに購入して住み始めるのであります。そして、断崖の突き出た岩の上に有名な「六角堂」を建て、五浦を本拠地として活動を開始します。実際に行ってみると分かるのですが、実に素晴らしいところで、こういうところで、ゆっくりと過ごしたいですなあ!仙人になった気分に浸れます。



投稿者 tuesday : 2006年07月27日


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